部下の数は変わらないのに、なぜか年々大変になる――そう感じる管理職は多いだろう。リモートワークや副業で働き方が多様になった令和の「まとめにくさ」の正体を、経営学者ピーター・ドラッカーは『マネジメント エッセンシャル版――基本と原則』で見抜いていた。本記事を読めば、その手応えのなさの理由と突破口をつかめるかもしれない。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー マネジメントが重い

マネジメントはなぜ重くなるのか

 リモートワークで顔を合わせない部下、副業で組織に半分だけ属するメンバー、互いの仕事が見えにくい専門職同士――働き方が多様になった令和では、チームをまとめる手応えのなさに悩む管理職は多いだろう。

 この負担感は、決して気のせいではない。ドラッカーは本書で、マネジメントの負荷は部下の頭数では決まらないと言い切る。

 本書には、こう書かれている。

部下が何人いるかは問題ではない。重要なのは、人間の数ではなく関係の数である。部下との関係は、マネジャーの扱う関係の一つにすぎない。

――『マネジメント エッセンシャル版』

 働き方が多様になるとは、一人ひとりとの関わり方が枝分かれし、扱う「関係の数」が増えるということだ。たとえば部下が5人でも、リモートや副業、異なる専門職が入り混じれば、向き合う関係は10にも15にも膨らむこともあり得る。

 顔の見えないやり取り、利害の異なる副業先、専門の壁――関係が増えれば、目配りも調整も増えていく。頭数が同じでも、マネジメントは確実に重くなる。私たちが感じる「まとめにくさ」は、能力不足ではなく、関係そのものの複雑化から来ているのだ。

肩書がなくても、あなたはもうマネジャーだ

 ではこの重荷を背負うマネジャーとは、そもそも何者なのか。かつては「部下を従える上司」を指す言葉だった。

 だがドラッカーは本書で、その定義を塗り替える。いまもっとも増えているのは、部下を持たずに専門知識で組織に貢献する人たちであり、見分ける基準は肩書ではないと述べる。

 大切なのは、誰を従えているかではなく、組織の成果への責任だ。専門知識で価値を生むひとりの担い手も、その意味では立派なマネジメントの一員なのである。

 しかも専門家にとってマネジャーは「ボス」ではなく、目標を翻訳し成果を束ねる支え役だとドラッカーは言う。関わりが薄く多様になるほど、この束ねる仕事は難所になっていくだろう。

学べる技術と学べない資質

 では、複雑になったマネジメントの力は、どうすれば手に入るのか。希望が持てるのは、その大半が学べるらしいということだ。

 ドラッカーは、目標を設定し、組織し、動機づけとコミュニケーションを図り、評価し、人材を育てるという五つの仕事を、誰もが訓練で高められると述べる。だが本書は最後に、ただひとつだけ、訓練では手に入らないものがあると釘を刺す。

 本書には、こう書かれている。

しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。

――『マネジメント エッセンシャル版』

 真摯さとは、ドラッカーによれば、何が正しいかだけを考え、誰が正しいかは考えない誠実さのことだ。愛想のよさや器用さは、その代わりにはならない。

 顔を合わせる時間が減り、立場も背景も異なる人と働くほど、何が正しいかを曲げない真摯さの有無が、チームの信頼を大きく左右していくだろう。

マネジメントは育てられる

 働き方が多様になり、マネジメントが難しくなった時代。だからこそ立ち返るべきは、奇抜な手法ではなく、責任と真摯さという本質だろう。

 本書には、マネジャーは育つべきものであって生まれつきのものではない、とも書かれている。だからこそ明日の担い手は、運任せにせず体系的に育てなければならない。

 関係が複雑になるほど、人を育てる仕事の重みは増していく。その最も人間的な営みと、真摯さという土台は、私たち自身が守り育てていくべきものとして委ねられている。

 本書は長い時間を越えてなお、働き方が多様化する時代にこそ効くマネジメントの芯を、静かに差し出してくる一冊である。

*この記事は、『マネジメント エッセンシャル版――基本と原則』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。