「うちの子、何も習わせていなくて大丈夫だろうか?」。「体験格差」という言葉も広まり、周囲が次々と習い事を増やすなか、置いていかれる不安を抱く親は少なくない。だが、その焦りがむしろ子どもの可能性を狭めているとしたら――。通信教育「進研ゼミ」の「赤ペン先生」として20年以上、のべ8万枚を超える答案と向き合ってきた佐村俊恵さんは、「子どもの成長に習い事の有無は関係ない」と断言する。
初の著書『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた 赤ペン先生のほめ方』で子どもの力を伸ばす極意を語る佐村さんに、そのエッセンスを聞いた。
(構成/藤田美菜子、ダイヤモンド社書籍編集局)
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子どもは、ただ「ぼーっとしている」わけではない
――佐村さんは、「習い事」についてはどうお考えですか? 最近は「体験格差」という言葉もあって、「何かやらせたほうがいいのではないか」と焦りを感じている親御さんも多いと思います。
佐村俊恵氏(以下、佐村) 私の答えはシンプルで、習い事はゼロでも大丈夫です。大事なのは習い事の有無ではなく、その時間に子どもが何をしているか、なんですよ。
たとえば、子どもが回っている洗濯機をじっと眺めていたり、ベランダに来る鳩を目で追っていたりすると、大人はつい「ぼーっとしていないで何かしなさい」と言いたくなりますよね。
でも、その時間、子どもの頭のなかではいろんなことが巡っているはずです。
「あの鳩、なんで首を前後に振りながら歩くんだろう? あっちの一羽は、どうして仲間と離れて行動してるんだろう?」とか。
ぼーっとしているようでも、その子なりの気づきが生まれ、「次はこれを知りたい」という意欲が育っているんですよね。
おうちのかたは、それを「無駄な時間」と切り捨てず、「何を考えていたの?」と声をかけてあげてください。そして「面白いね」と受け止めてあげることで、子どもの視点はどんどん広がっていきます。
「役に立たないこと」こそ、全肯定してあげてほしい
――大人の目線で無駄かどうかを判断してはいけない、ということですね。
佐村 大人はどうしても、「役に立つかどうか」で子どもの行動を評価しがちです。でも、それで興味関心の芽をしぼませてしまうのは、もったいないですよね。
もちろん、家のなかで洗濯機や鳩をずっと眺めていればいい、という話ではありません。ときにはおうちのかたが、公園や図書館など、いつもと違う環境に連れ出す――そうやって広い世界を見せることも、やはり大事です。
「子どもがゲームばかりやっていて心配だ」というおうちのかたもいらっしゃいますが、ゲームそのものの良し悪しの話ではないですよね。ただなんとなくゲームをしているのか、その時間に何かを感じ、考えているのか。見極めるべきはそこだと思います。
「誰のため」の習い事になっていますか?
――習い事を始めてはみたものの、お金をかけてまでやらせる意味が本当にあるのか…?と迷うケースも多そうです。
佐村 そもそも、「やらせる」という言葉自体があまり良くないですよね。「誰のための習い事か」を、一度立ち止まって考えてみてほしいと思います。子どもが「自分のため」にやりたいことなら、そこから学べるものは多いはずです。
おうちのかたの意向で始めた習い事でも、子どもがそれを進んでやりたいと感じているなら、何の問題もありません。逆に、自分には向いていないと感じて「やめたい」と言える子の場合も話はシンプルです。難しいのは、その中間にいる子でしょう。中途半端なまま、なんとなく続けてしまう。
じつは私自身がそうでした。本当はピアノが苦手だったのに、「せっかくおじいちゃんがピアノを買ってくれたんだから」と親に説得され、ずるずる続けてしまったのです。同じような経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
これは、時間の使い方としてはかなりもったいない。だからこそ「本当に好きなの?」と、子どもに問いかける機会を作ってほしいですね。
いまは「何かを習わせて(経験させて)おけば安心」という時代ではありません。勉強の仕方も多様になり、YouTubeで独学する子もいれば、フリースクールでメンターから教わる道もあります。学び方が広がるなか、習い事にこだわる意味は薄れていると感じます。
とにかく多くを体験させようと頑張るより、「この子は今、何を面白いと思っているんだろう?」と関心を持つほうが、ずっと大切ではないでしょうか。
あとは、その子が選んだものを「うらやましいなあ!」と一緒に面白がり、その世界が広がるように手助けする。それが、子どもがいちばん伸びる時間の使い方につながると思います。



