「シルクロード」と聞くと、中国と地中海を結ぶ一本の道を思い浮かべるかもしれない。だが、その成立の背景には、張騫の西域派遣より約200年前、アレクサンドロス大王の東方遠征とヘレニズム諸国の興隆があった。さらに前漢の武帝は、匈奴に対抗するため大月氏との同盟をめざし、西方へ張騫を送る。東西の勢力が交わる中間地点・アフガニスタンを軸に、ユーラシアの交易網はどう形づくられたのか。世界史のつながりを読み解く。

【大人の教養】シルクロードはいつ生まれた? アレクサンドロス大王から始まる意外な歴史Photo: Adobe Stock

アフガニスタンはなぜ「シルクロードの真ん中」になったのか

 アフガニスタンの歴史はシルクロードとともに始まったと言えます。シルクロードと言えば、古代よりユーラシア大陸の東西(地中海世界と東アジア世界)をつないだ長大な交易ルートですが、アフガニスタンはそのほぼ中間に位置します。

 前2世紀、中国の前漢王朝が武帝(位・前141~前87)の治世にモンゴル高原に割拠した匈奴に対抗するため、西方の大月氏(だいげっし)との同盟を画策します。下図を見てください。

【大人の教養】シルクロードはいつ生まれた? アレクサンドロス大王から始まる意外な歴史出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 そこで武帝は張騫(ちょうけん)を使節に派遣しますが、張騫の到来により、「西域」と呼ばれたタリム盆地(現在の中華人民共和国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区)の都市国家群は漢という大国の存在を知ります。

張騫より200年前、アレクサンドロス大王が開いた東西交易の道

 張騫の到来より200年前、パミール高原に迫ったアレクサンドロス大王(3世/位・前336~前323)の東方遠征と、大王没後の後継国家(ヘレニズム諸国)がこの地に興隆しており、当時の西域諸国は既にこうしたヘレニズム諸国や前3世紀よりイラン高原に興隆したパルティアといった諸勢力との交易に従事していました。

 間もなく武帝の外征によって西域諸国は前漢の支配下に入り、ここに東アジア世界と地中海世界が断続的ながら交易によって結ばれることとなり、シルクロードが成立したものと見なします(下図参照)。

【大人の教養】シルクロードはいつ生まれた? アレクサンドロス大王から始まる意外な歴史出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋・編集したものです)