「定年後も働き続けたほうが健康に良い」「引退すると途端に老け込む」と考えて、無理に働き続けようとしていませんか? 日本では、このような働き方に関する「常識」が広く信じられています。しかし、それは一部の成功例を一般化したものにすぎず、実は科学的根拠に乏しいのです。慶應義塾大学の佐藤豪竜氏の著書『働き方の科学』をもとに解説します。(構成/上村晃大)

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「引退すると健康になる」という衝撃の研究

 日本ではよく、「引退すると老け込む(だから働き続けることが大事だ)」といったことが言われます。

 しかし実は、それは逆で、「引退するとむしろ健康になる」という研究を発表した研究者がいます

 慶應義塾大学の佐藤豪竜氏の書籍『働き方の科学』によると、下記のように書かれています。

 引退が健康に悪いという結論は、「生存者バイアス」に囚われているため、間違っているかもしれないのです。生存者バイアスとは、失敗例を見ずに成功例だけを見ることで生じるバイアス(偏り)のことです。

 つまり、定年後も引退せず元気に働き続けている人ばかり目につくのは、もともと元気いっぱいの人だけが定年後も働き続けているだけであり、そうでない人は定年で引退しているから働いている姿が目に入らないだけ、というわけです。

 ですから、「定年後も働き続けている人」と「定年で引退した人」の健康状態を単純に比較してしまっては、「定年後も働き続けている人」のほうが健康状態がよいという結論がでやすくなるのです(図1)。

図1 生存者バイアスとは何か?図1 生存者バイアスとは何か? 『働き方の科学』より抜粋

「生存者バイアス」をどう取り除くか?

 では、「働くこと」が「健康状態」にどのような影響を与えるのかを調べるにはどうしたらよいのでしょうか。果たして、働いているから元気なのか、働くことと元気かどうかは関係がないのか、どちらなのでしょうか。

 前出の佐藤氏は、国ごとの「年金受給開始年齢」の違いに注目し、さきほどの「生存者バイアス」を取り除くことに成功したといいます。『働き方の科学』では下記のように書かれています。

 年金を受け取れる年齢になると、多くの人はそのタイミングで引退をします。一方、年金支給開始年齢は政府が決めており、個人の健康状態によって左右されません。
 例えば、A国では65歳から年金を受け取れますが、B国では70歳にならないと年金が受け取れないとします。すると、A国では多くの人が65歳で引退しますが、B国では多くの人が65歳になっても働き続けます。
 ここで、A国とB国の65歳の人を比べてみましょう(図2)。A国の人はすでに引退していますが、B国の人は働き続けています。この違いは、政府が決めた年金支給開始年齢の違いによって生じています。生存者バイアスの原因となる個人のもともとの健康状態とは無関係です。
「引退すると老け込む」と思い込んでいる人が囚われている「思考の罠」とは図2 年金支給開始年齢の違いを利用した比較 『働き方の科学』より抜粋
 このように年金支給開始年齢が違う国で、引退した人と働き続けている人の健康を比較すれば、生存者バイアスの影響を抑えて、純粋に引退が健康に与える影響を調べることができます。

引退したほうが「心疾患リスク」は下がる

 その結果、なんと、引退した人のほうが、働き続けている人と比べて心疾患リスクは2.2%ポイント低かったのです(*1)。

 これは、「心疾患患者が約20万人減少することに匹敵」するほどのインパクトがあるということです。

 このほか、引退した人は働き続けている人と比べて、

・認知機能が高い
・身体機能が維持されている
・主観的な健康感が高い

ということも示されました(*2)。

 一般的に「引退すると老け込む」と信じられていますが、正反対の結果になりました。つまり、引退は健康によいのです。


*1 Sato, K., Noguchi, H., Inoue, K., Kawachi, I., & Kondo, N. (2023). Retirement and cardiovascular disease: A longitudinal study in 35 countries. International Journal of Epidemiology, 52(4), 1047-1059. https://doi.org/10.1093/ije/dyad058
*2 Sato, K., & Noguchi, H. (2026). Heterogeneous associations of retirement with health and behaviors: A longitudinal study in 35 countries. American Journal of Epidemiology, 195(3), 644-652. https://doi.org/10.1093/aje/kwaf126