漫画家・かっぴー氏の著書『天才になれなかった全ての人へ 自分だけの武器が見つかる才能論』の刊行を記念し、映画監督/脚本家で著書『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏との対談イベントが、代官山蔦屋書店で開催されました。「才能の教室」と題して繰り広げられたイベントの模様を、全4回でお届けします。(文/大西志帆)

かっぴー氏、長久氏

かっぴー:次の質問は、「他人の目が気になります。どうしたらいいですか?」。

長久允(以下、長久):やりたいならやろう。

かっぴー:やろう。

長久:本当にそう思う。

かっぴー:本にも書かれてましたけど、自己開示じゃないですか、脚本って。自分の。

長久:恥ずかしい行為ですよね。

かっぴー:たぶん、全裸になるに等しい行為だから。恥ずかしくないわけないし、恥ずかしくないものを作ってもしょうがないと思うんですよね。なんか痛くも痒くもないもの作ったって、は? って感じだし。

長久:僕もそう思う。

かっぴー:だから、最近よくAIがAIがって言うけど、仮にAIがまったく同じものを作れたとして、俺は「誰が作ったか」を知りたいんですよね。映画とか見てても、その作者の別の作品を見ようっていう風に興味が移る。
つまりは、誰の裸なの? みたいなさ。AIで作られた架空の裸見てもさ、しょうがなくない? 誰の裸かが重要じゃないっていう風に思ってるから。そういう意味だと、AIは人間の代わりにはなんないと思ってて。サポートにはなるけどね。やっぱ、作者はあなたであるべきっていう風に思ってるんで。
恥ずかしくなきゃ創作じゃないと思う。

長久:うんうん。そう思う。

「恥ずかしいもの」を作れ

かっぴー:いかに恥ずかしいかじゃない。『左ききのエレン』なんて超恥ずかしいからね。

長久:そこに衝撃受けたかも。やっぱ。そこ全部出すんだっていう、業界全体で隠していた「恥ずかしいこと」だから。そういう意味で、他人の目を気にしたら結果がつかないんですよ。他人の目を気にしないことがスタートだという気はする。だから『左ききのエレン』を読んで、よく「キャラクターが感情爆発で恥ずかしい」とか、「痛い」とかいう感想も見るけど、それに関しては全然気にしてなくて。むしろ、ちゃんとその人の琴線を刺激できたなっていうことさえ思うんだけど。

長久:うんうん。

かっぴー:一方でそれこそマーケティングでやってるとか、計算で作ってるとか、ドラマ化狙って作ってるとか、そういうこと言われる方が嫌だ。

長久:あー。実際は狙ってないから。

かっぴー:人の裸見て何言ってんだっていう感じ。

長久:そうですよね。こっちは全裸になっているのに。

かっぴー:お前、って。

長久:「ドラマ化の裸」って言われて。

かっぴー:「ドラマ化の裸」って言われたら顔真っ赤にして怒るよ、それは。

長久:ただの裸ですよね。

他人の目なんてクソ

かっぴー:ただの裸だ。見ろ。裸大会だと思ってるから。それに参加してる自覚があるから。

長久:それは相撲じゃない。

かっぴー:相撲かもしれない。なのにさ、相撲の観客が「あ、丸出し」って言っても、ねえって感じ。

長久:そうですよね。ボディビルの方が正しかったかもしれない。

かっぴー:ボディビルにしよう。

長久:すまん。

かっぴー:だから他人の目なんてクソです。でも他人の目があるから裸になるわけで。誰も見てないとこで誰が裸になる?

長久:すごいおもしろい。

かっぴー:そういうことだと思う。うん。だから人の目は大事。その上でいかに恥かくかっていう感じですね。