年度末が近づくと発注が増える。使い切らなければ翌年度は減らされるからだ。効率を上げるほど損をする――この逆さまの仕組みを53年前に論じていたのが、ピーター・F・ドラッカーの『マネジメント――課題、責任、実践』[上][中][下]である。お役所の話に見えるが、同じ構造は会社の中にもある。自分の部署は、誰から、何に対して支払いを受けているのか。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 独立行政法人

年度末に発注が増える理由

 年度末が近づくと、急に発注が増える。使い残した予算で備品を買い足したり、先送りにしていた出張を前倒ししたり――役所でも会社でも、毎年繰り返される光景だろう。

 そして多くの人が、それを不合理だと思いながら、同じことをしているのではないだろうか。

 なぜこうなるのか。その答えを53年前に示していたのが、1973年刊行の『マネジメント――課題、責任、実践』[上][中][下](最新の邦訳は2008年)である。ここで見ていく議論は、そのうち[上]「マネジメントの役割」に収められている。

 断っておくと、これは役所を批判する話ではない。同じ仕組みは、役所の外にもある。

 日本でこの構造が見えやすいのは、独立行政法人だろう。行政の企画立案部門と実施部門を分け、実施部門に法人格を与えて運営の裁量を持たせる仕組みとして、2001年に導入された。法人を支えるのは、主に税金を財源とする運営費交付金である。

 主務大臣が3~5年の中期目標を示し、法人はそれに沿った計画を立て、毎年度、業務実績の評価を受ける仕組みになっている。

総務省自身が認めたつまずき

 評価は項目ごとにS・A・B・C・Dの5段階で下される。経済産業省の例では、S=5点からD=1点までを点数化し、総合評定に反映させる。数字で管理する仕組みとしては、企業の目標管理とさほど変わらないのではないだろうか。

 ところが、制度を所管する総務省自身が、その出発点でつまずいていたことを認めている。「独立行政法人の目標の策定に関する指針」は、かつて政府共通の基準がなかったために、目標が「観念的、抽象的かつ総花的」であり、具体性や的確性が必ずしも確保されていなかったと記している。

 誤解してはならないのは、これが誰かの怠慢を意味しないことだ。現場には真面目に働く職員がいて、制度を設計した人たちも真剣だった。それでも目標は総花的になった。原因は人ではなく、その組織が置かれた構造の側にあると考えるほうが自然だろう。

効率を上げてはいけない

 ドラッカーは、公的な機関と企業を分けるのは事業の中身ではないと考えた。違いは支払いの受け方にある。企業は顧客を満足させたときにだけ支払いを受けるが、公的な機関は予算から支払いを受ける。その収入は、成果とは関係のない税から割り当てられる。

 ドラッカーは、こうした組織を予算型組織と呼ぶ。ここでは、成果とはより多くの予算を獲得することであり、仕事ぶりとは予算を維持し増やす力を指す。

 だから効率を上げても業績にはならない。それどころか組織を危うくしかねない。予算を使い切らなければ、来年度は減らしてよいと思わせるだけだからだ。

 本書はアメリカ国防省の年度末の浪費に触れ、パーキンソンの法則にも言及する。仕事の量は与えられた時間をすべて満たすまで膨張する、というあの法則である。役割を失うほど予算と人員を増やしていったイギリスの官庁を揶揄したものだ。ドラッカーはそれを、予算型組織の正常な働きだと述べる。

 注意したいのは、ドラッカーが予算という仕組みそのものを否定してはいない点である。

予算に依存することは、それ自体は、悪いことでも好ましからざることでもない。15世紀までのヨーロッパの軍や、中国の軍閥のような自給自足の軍は、絶えず戦い、恐怖をもたらし、略奪と暴行を繰り返していた。

――『マネジメント――課題、責任、実践』[上]より

誰も敵に回さない報酬

 予算型組織は、集中することも難しくなる。作業靴メーカーが22%のシェアを持ち、市場も伸びて30%に届きそうなら立派な会社だ。顧客になっていない70%のことは気にしなくてよく、そこを捨てるという選択ができる。

 だが同じ組織が予算で動いていたらどうなるか。同じ会社の現在のシェア(22%)を基準に見れば、あらゆる靴のために予算が必要になり、22%という数字は78%からの拒絶を意味してしまう。関係者の誰ひとり切り捨てられなくなる。

 本書が挙げるのはアメリカの大都市の警察だ。郊外なら路上の安全、都心なら屋内の安全が大事だと警察は知っている。それでも、木から下りられなくなった猫の通報にも応対しなければならない。断れば市会議員に苦情が届く。限られた人手は細切れに使われ、どちらの安全も守られない。

 誰も敵に回さないことが成果になる

 人は報われ方に応じて行動する。予算型組織で働く人にとって、これは意識の高さの問題ではないということだ。

あなたの会社の人事部も

 ここまでは役所の話に見えたかもしれない。だが本書の鋭さは、この先にある。ドラッカーは同じ論理を、企業の中のサービス部門に当てはめた。

 人事、総務、情報システム、経営企画。これらの部門は、成果に対しても、現場の利用度に応じても支払いを受けない。予算からもらう組織は社内にもある。しかも現場には、社内のサービス部門を使わない自由がない。協力ぶりが考課項目に入っているからだ。

 本書は人事部門を例に挙げる。その機能は人的資源の有効活用にあるのか、面倒を見ることにあるのか、規則の周知にあるのか、社員が働きやすくすることにあるのか。

いずれも人事部門の仕事としてもっともである。いずれを主たる目的としても立派な人事部門たりうる。ところが、自らの目的とすべきものを正面から取りあげている人事部門はない。

――『マネジメント――課題、責任、実践』[上]より

 予算型組織であることは、悪でも怠慢でもない。だが支払いの受け方が変われば、何が成果とみなされるかも変わる。ドラッカーは、この誤った方向づけを皆無にするのは至難だとしながら、少なくし、中和することはできると書いている。

 では、自分の部署はどうか。特効薬はないが、誰から、何に対して支払いを受けているのかを知っているかどうかが、日々の判断のなかで静かな違いを生むのではないだろうか。