仕事で他社や他人のやり方を真似ることに、どこか抵抗を感じたことはないでしょうか。「オリジナリティがない」「二番煎じだと思われたくない」という気持ちから、つい自己流にこだわってしまう――そんな心理を乗り越えたことが、どん底からの復活劇を生んだ例があります。『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』の著者・山口周さんによれば、市場シェア100%目前から13%への転落を経験したゼロックスを救ったのは、「プライドを捨てて真似る」という、身も蓋もない決断だったといいます。(構成/小川晶子、ダイヤモンド社書籍編集局)

人生が行き詰まったとき、復活できる人の行動・ベスト1Photo: Adobe Stock

行き詰まったら素直に真似てみる

――他社や他人のやり方を真似ることに、どこか抵抗を感じる人は多いと思います。でも、行き詰まったら素直に真似てみるという経営手法があるのですよね。

山口周氏(以下、山口):他者の成功事例やパフォーマンスを基準に、自らのプロセスや成果を比較・評価し、改善策を導き出す経営手法がベンチマーキングです。1980年代にアメリカのゼロックス社が組織的に導入したのが始まりと言われています。

――ゼロックスは、どんな状況でこの手法にたどり着いたのでしょうか。

山口:当時のゼロックスは複写機に関する特許のほとんどを独占していましたが、特許に抵触しない形でキヤノンが普通紙複写機市場に参入し、リコーやミノルタが続いた結果、一時期は100%に届くかと思われた市場シェアは、82年には13%にまで落ち込んでしまいました。

何が問題だったのか。

日本企業と比較してゼロックスの製品は品質が悪く、コストは高く、開発期間は長かったのです。

彼らは自分たちの劣位を謙虚に認め、日本企業をお手本として改革を進めることを決心したのです。

ゼロックスの経営陣がまずやったのは、競合製品をバラバラにして調べる「リバース・エンジニアリング」。その品質の高さとコストの低さに驚愕した経営陣は、富士ゼロックスに協力を依頼して調査チームを送り込み、「市場で敗北する前に、工場で敗北していた」ことを理解します。

この取り組みはやがて業界を超えて知られ、米国の企業変革の核となっていきました。

成長のために謙虚に学ぶ

――アメリカ企業が「日本に学ぶ」というのは、当時は受け入れがたいものだったのではないでしょうか。

山口:そこが重要なんです。

米国は歴史的な経緯の影響もあって、個性や独自性を重んじ、特にビジネスやエンタテイメントの分野では「他者の模倣」に批判的な立場を取ります。しかも模倣の対象は、太平洋戦争で完膚なきまでに叩きのめした東洋の国です。「他者を模倣する」というベンチマーキングは、深いレベルでの精神性の変容がなければ、絶対に受け入れられないものだった。

本当の企業変革は精神レベルでの変容がなければ推進できない、とよく言われますが、80年代の米国の「身も蓋もない」取り組みは、米国のビジネスパーソンのあいだでそのような深い変容が起きていたことを示しています。

他国や他社から学ぶことが「劣等感」ではなく「成長のために必要な手段」だという認識が広がったのです。いまから思えば、この時代は衰退する米国経済が底を打って反転攻勢に出る、ターンアラウンドの時期だったのかもしれません。

模倣した上で、自分のものとして取り込む

――模倣と創造性は矛盾するように感じますが、どう捉えたらいいでしょうか。

山口:創造性は「オリジナリティ」、つまり他にない独自のアイデアや作品を生み出すことと結びつけて考えられますが、実際には模倣が創造性にとって大きな役割を果たしています。

模倣は、学習や発展の出発点であり、新しいアイデアや表現を生み出すための土台となるプロセスなのです。

天才の代名詞であるピカソも、多くの作品の「ネタ元」が特定されています。そして奇妙なことに、ほとんどのケースでネタ元よりピカソの作品の方がよく知られています。

模倣の疑惑があることを指摘したインタビュアーに対してピカソは「凡庸なアーティストは模倣する。偉大なアーティストは奪う」と言っています。

この言葉には、創造におけるベンチマークという行為の本質がよく表れていると思います。

大事なのは「模倣した上で、自分のものとして取り込んでしまう」こと。模倣は非常に有効な学習の一環なのです。