世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の金脈Photo: Adobe Stock

SNSには書けない「良くない感情」

 人には、なかなか表に出せない感情があります。

 誰かへの嫉妬。怒り。恨み。惨めさ。情けなさ。自分でも認めたくない本音。

 友人にも家族にも話しにくい、そんな感情を抱いたあとで、「こんなことを思う自分はダメだ」と責めてしまうこともあるかもしれません。

 けれど、その感情が時に創作のヒントになることがあります。

 映画監督/脚本家の長久允(ながひさ・まこと)さんは、SNSには書けない「良くない感情」について、こう語っています。

 皆さんきっとSNSをやっていますよね。たとえば何かを投稿しようとしたときに、書いた文章を自分で推敲することがあるのではないでしょうか。これを言ったら不謹慎で炎上してしまうかもしれないな、とか、これは余計な心配をされすぎちゃうかもしれないな、とか。

 そういう感情こそ、映画は受け止めてくれるのではないかと思うのです。つまり、SNSに書けない感情は金脈。そう思うのです金脈というのは強い言葉すぎるかもしれないけれど。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p151-152より

 もちろん、黒い感情をそのまま外に出せばいい、という話ではありません。

 怒りや憎しみや絶望を、誰かにぶつけるように投稿すれば、誤解を生んだり、人を傷つけたりすることがあります。

 長久さんも、SNSは他者とのコミュニケーションをとる場であり、そうした感情をそのまま書くことは不適切だと考えています。

 しかし、作品ならそれを活かすことができます。

 単に文字にするだけだと、やはり誤解が発生します。誰かを傷つける鋭利さがありすぎる。それに、これをSNSに書くことは、SNSは他者とのコミュニケーションをとる場ですから、不適切であると考えます。

 しかし映画は違います。コミュニケーションの場ではないし、より複合的な情緒要素を含んだ状態で完成されるので、いい意味で鋭利さは失われます。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p152より

「自分には何もない」と思う前に

 長久さんは、こう続けます。

 そしてここからが大事なところなのですが、もしあなたがSNSに書けないことを『思った』とします。それが不謹慎で、誰かに言いづらい気持ちだったとしても、『思った』という事実は確かなことだと思うのです。映画はあなたのその『思った事実』を尊重してくれる受け皿だと思うのです。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p153より

「SNSに書けない」ということと、「存在してはいけない」ということは違う。

 人に言えない感情を抱いたこと自体は、たしかに自分の中で起きたことです。なかったことにはできません。

 むしろ、そこにはその人が何に傷つき、何を欲し、何を恐れ、何を許せなかったのかが表れていることがあります。普段は覆い隠されている本音や切実さがある。

 もちろん、黒い感情を扱うには慎重さが必要です。長久さんも、「映画を観た誰かを加害していないかは検証が必要」と書いています。

 その点に注意しつつ、「自分には何もない」と思う人こそ、取り入れてみるといい視点かもしれません。