世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本ゆずれないPhoto: Adobe Stock

きれいなだけでは心に残らない

 仕事ができる人ほど、相手に合わせることができるものです。

 だからこそ、クライアントが求めていること、上司が納得しそうなこと、市場で受け入れられそうなことを先回りして考えられる。

 そんなきれいにまとまって、筋も通っている仕事。

 けれど、なぜか心には残りにくいことがあります。
 一見よくできていても、どこか借り物のように感じられてしまうのです。

今ハリウッドで求められるのは「当事者性」

 世界で高い評価を得ている映画監督/脚本家の長久允さんは、こう語っています。

 人の心は教えてもらえない。どんなにたくさん勉強し、取材をしても、その事件や事象を本当に体験した者しか、気持ちはわからない。当事者しか知らない感情があるのです。ヘテロセクシャルで既婚者で男性の私がどんなに取材をしても、レズビアンで独身の女性の気持ちを正しく知ることはできない。それは紛れもない事実なのです。
 だけど、その事実をひっくり返すと、ひとつの希望的事実に辿り着くこともできます。

 あなたが体験したことは、あなたしか知らない。
 あなたはあなたの人生の当事者であり、
 あなたが感じた感情は、絶対に誰も否定することのできない
「正しい」感情である。


 このようなことに、逆説的に辿り着くことができるのです!
 脚本は「他人の物語」を書かなくてもいい。「自分の物語」を書いていい。

 実際、ハリウッドでは今、当事者性が強く求められているように感じます。文化盗用に対する批判やマイノリティ(セクシャルな、人種的な、もしくはそれ以外)の人生を他者が消費してはならないという基本的な倫理観が近年強くなっているがゆえに、「当事者性」が問われ、またそこに価値が有されていると言えます。

 たとえば、私は日本人なので、「アジアの、日本の、私の宗教観や文化や感性にまつわる物語」を求められています。これは難しく考えることではなく、
「あなたの物語を書いたほうがいい」という話なのです。
 インディペンデント映画的な思考ではなく、ハリウッド映画のビジネス的にも、そのような結論を出せるのです。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p222-223より

 どれだけ調べても、どれだけ想像しても、他人の人生を完全にわかることはできない。

 けれどその反対側には、自分の人生の当事者は自分しかいない、という希望があります。

 この感情はなかったことにしたくない、このおもしろさをどうしても伝えたい、これには意味がある。
 そんな自分の中から出てくる小さな切実さが、「譲れないもの」なのでしょう。

 自分しか知らない感情から始まった仕事は、誰かの心に残る可能性があります。

 その場所を起点にできたとき、仕事はただの成果物ではなく、その人にしか作れないものへと変わっていくのかもしれません。