世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

「脚本」成功Photo: Adobe Stock

32歳からのキャリア

 仕事やキャリアについて考えるとき、私たちはつい「早く成功しなければ」と思ってしまいます。

 同世代が結果を出している。自分より若い人が評価されている。

 あの人はもう夢に近づいているのに、自分はまだ目の前の仕事に追われている。

 そんなふうに比べてしまうと、いま歩いている道が間違っているように感じることがあります。

 けれど、映画監督/脚本家の長久允さんは、人生の遠回りについて以下のように振り返ります。

 私が映画を作ったのは32歳から。
 遅いですよね。遅いと思っていました。
 思っていましたというのは嘘で、遅いとか早いとか、そういう意識さえ持たないくらいに、映画監督の夢はとうにあきらめていました。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p20-21より

 映画監督になりたいという気持ちにふたをして、新卒から広告会社でサラリーマンとして働いていた長久さん。

 営業職からCMプランナーになり、たくさんの企画を考え、クライアントのために映像を作る日々を過ごしていました。

 仕事自体は好きで、結果もある程度出る。やりがいもある。けれど、どこかで自分の本当に作りたいものとは違っている。そのズレに気づきながらも、目の前の仕事を懸命にこなしていたのだと思います。

 明るく、多くの人の心が動くものを求められる広告の現場で、自分の得意な感覚とうまく噛み合わない。心を消して努力しても、結果がついてこない日々が続いたと振り返っています。

「人生のクライアントは自分」

 けれど、その時間は無駄ではありませんでした。

 長久さんは、映画監督の夢から10年以上離れていた時間について、こう語っています。

 ただ、今となってはそれがあってこその自分なので、必要な時間でした。たぶん、23歳から映画を作り続けていたら辿り着けなかった自分になっていると思います。
 10年以上違う道を歩いたからこそ持てた眼差しがそこにあるからです。映画は、眼差しなので。はい。
 私は心から思うのです。夢、あきらめてよかった。遠回り、最高。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p21より

 遠回りしている時間は、その最中にはなかなか肯定できません。

 自分だけが遅れているように感じるし、関係のない場所にいるようにも思える。

 けれど確かに、違う道を歩いたからこそ持てる目線があります。自分が本当にやりたいことの輪郭が見えてくることもあるかもしれない。

 長久さんが本当に映画を作ろうと思い出したのは、ある夏の夕方、編集室からの帰りに路上でうずくまったときでした。体は限界に近づき、心臓が締めつけられるように感じる中で、こう思ったといいます。

 どうして私は、こんなにも、死にそうになりながら、命を捧げながら、誰かが作った商品を『なんとなくいい』と思わせることに時間を使っているのだろうか。

 自分が作りたい物語があったはずなのに。自分には伝えたいメッセージがあったはずなのに。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p28より

 そして、長久さんはあるシンプルなことに気づきます。

 自分の人生のクライアントは、「自分」じゃんか。

――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p29より

 この大切な気づきは、間違いなく遠回りしたからこそ気づけたものでしょう。

 成功は、一度で掴み取らなくていいのだと思います。

 若いうちに夢を叶えられなくてもいい。最初に選んだ仕事が、自分の天職でなくてもいい。

 遠回りしても、違う場所で働いても、夢にふたをしていた時間があっても、それらはあとから自分だけの眼差しになることがあります。

 その経験があったからこそ、長久さんは人生で一度でいいから、「自分が本当に良いと思うかどうかのみを考えた映画」を作りたいと思った。

 そしてその映画が、やがて世界で評価されることになります。

 だから、いま遠回りをしているように感じる人も、焦りすぎなくていいのかもしれません。

 いまの仕事がすぐに夢につながっていないように見えても、その中で見たもの、悩んだこと、合わなかったこと、少しだけ手応えを感じたことは、いつか自分だけの材料になる可能性があるのです。