世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、自分の仕事をどう捉えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考から辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室Photo: Adobe Stock

 ビジネスの現場では、「感情」をどこか扱いづらいものとして見てしまうことがあります。

 資料はロジカルに作るべきだ。企画は客観的に説明すべきだ。プレゼンでは数字や根拠を示すべきだ。

 もちろん、それは大切なことです。仕事である以上、論理や構造や再現性を無視することはできません。

 けれど、人の心を動かす仕事において、本当に感情は二の次でいいものなのでしょうか。

ハリウッドの脚本との明確な違い

 長久允さんの本には、こんな記述があります。

 かつては日本の映画の慣習的にト書きには「目で見えるもの」のみを書くとされていました。つまり「カメラワーク」や「音楽」そして「人物の感情」は書かないのが一般的でした。
 私もそう教えられ、それに慣れていたので自然に感じていたのですが、ハリウッドと仕事をしてみると、まったくそんなことはなく、かなり明快に「人物の感情」や「カメラワーク」そして「編集点」までもが書かれていました。
 特に私が驚いたのは「感情」の描写に関してです。

 たとえばある男が「ごめんね」というセリフを言うとき、かつての日本ではそのセリフを放つ際の感情は伏せられて俳優と演出家にその解釈は託されていたわけです。
 しかしハリウッドでは、その人物が心から反省しているのか、口だけの反省なのか、深刻なのか、軽薄なのか、むしろ裏切ろうとしているのか、悲しんでいるのか、などが明快に書かれています。

 ハッとしました。確かに、明快に記載されていたほうが機能的なのは間違いありません。なぜ伏せていたのだろうか、なぜ脚本家は自らのイメージを手放していたのだろうか。余白の美徳だったのでしょうか。俳優部にとって演技の醍醐味として余白を残す必要があったのでしょうか。感情というものはドラマの最も大事な舵となるはずなのに。なぜ!

 脚本は設計図ですから、どこまでも緻密であることを否定する必要はないと感じます(逆におおらかな脚本だからこそ辿り着ける物語もありますが)。
 そういうわけで、「感情」を書くことは御法度だ、という時代は終わっていいのではないかと私は思います。だから私は、俳優部にもスタッフにも音楽チームにも編集チームにもすべてのヒントになることはぎゅうぎゅうに書くのです。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p.65-66より

 日本の映画の慣習とハリウッドでは、「感情」の扱い方に違いがあったのです。

「どう感じてほしいのか」まで設計する

 これは感傷的な話ではありません。

 感情を、仕事を前に進めるための重要な情報として扱っているということです。

 仕事でも、本当に人の心を動かしたいと思ったら、伝え方や相手の様子を大切にするでしょう。

 例えば、「この企画でいきましょう」という言葉も、自信を持って押し出したいのか、消去法で選んだのか、まだ不安が残っているのかで、受け取り手の反応は変わります。

 感情を出さないことは、一見スマートに見えるかもしれません。

 しかし、感情は人を動かすうえで、非常に重要なものなのです。仕事の方向を決める大切な舵とも言える。

 だから、資料や企画書やプレゼンでも、「何を伝えるか」だけでは足りません。「どう感じてほしいのか」まで設計する

 安心してほしいのか、驚いてほしいのか、今すぐ動かなければいけないと感じてほしいのか、未来に期待してほしいのか。

 そこが曖昧なままだと、どんなに整っていても、相手の心には残りません。

 情報だけでなく、相手の心の動きまで考える。

 それが、人の心を動かす仕事に欠かせない視点なのかもしれません。