世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室企画Photo: Adobe Stock

納得はされても刺さらない

 企画をするときは、その反響を考えるのが大切です。

 しかし、良いと思ったのになぜか人の心には残らない、ということも起きます。

 映画監督/脚本家の長久允(ながひさまこと)さんは、学生時代、自主映画を作ったことがありました。

 しかし残念ながらその映画は「さっぱりなんの賞にも引っかからなかった」といいます。

 まずPFF(ぴあフィルムフェスティバルという若手映画監督の登竜門的賞レース)で評価されたかった。売れたかった。自分が「最高だと思うか」なんかよりも、他者から評価されることを目指していた。「なんとなく映画っぽい」「それっぽい」ものを作っていた。作るべきだと思っていた。
 私は半端に器用だったので、その頃、流行っていた「群像劇」の脚本を書こうと決め、長編映画を撮影した。
 5人の主人公が出てくる、『パルプ・フィクション』と『マグノリア』と『きょうのできごと』を混ぜて煮込んで、劣化させたような映画。大学生の私が当時感じている本当の気持ちや伝えたいことは横に置いて、カッコ良さそうな構造と90年代邦画に多いアンニュイな雰囲気を優先して作った。セリフもアングルも「それっぽい」かどうかしか判断基準になかった。

 当時、うっすらだがそのことを自覚もしていたと思う。本当にやりたいことではないけれど、評価されそうだなぁ、他のインディーズ映画よりも技術がありそうに見えてるよなぁ、うん、だから売れるために、私はこれをやらねばならぬ。そんなことを自分で自分に
言い聞かせながら映画を制作した。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p5-6より

 説明して納得はされるのに、世の中に出た瞬間に素通りされてしまう、という現象。

 それは、「それっぽい企画」になってしまっているのかもしれません。

 あとから振り返って、長久さんは「雰囲気だけの空っぽな映画に価値なんてない」と断言しています。

「それっぽいもの」を量産しないために

 長久さんはその後、10年間のサラリーマン生活を経て、次に作った映画でいきなりサンダンス映画祭のグランプリを受賞します。

 自分が後にたどり着いた作風について、こう語っています。

 あの頃と、今とで、何が違うのか?(中略)
 それは冒頭で書いた「自由にのびのび書いた」だけでした。「それっぽさ」から遠く離れて書くということ。それだけでした。(中略)


「それっぽさ」にはなんの意味もないのだ。
 外側をどんなに綺麗にコーティングしても、
 中身が空っぽだったら、それは見る人にはバレてしまうんだ。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p7-8,39より

 外側を綺麗にコーティングするより、自由にのびのび書く。

 それが結果的に世界一という評価を得る。

 真に受け入れられる企画とは、綺麗に整えられたものではないのかもしれません。

 それよりも大事な、作り手の本当の気持ちがあること。

 企画を作る前に、一度振り返ってみたい言葉です。