驚きの表情を浮かべる女性写真はイメージです Photo:PIXTA

「いただく」「させていただく」……良かれと思って使っているその敬語、本当に正しい敬意が伝わっていますか? 日常でよく目にする言い回しを手がかりに、現代日本語で進む「謙譲語の崩壊」を読み解く短期連載の第3回。今回は、社会に蔓延する「〜させていただく」の違和感に迫ります。実はこの言葉を正しく使うには“2つの要件”が存在しました。便利さゆえにただの「丁寧な言葉」へと変質し、本来の敬意が失われていく恐ろしい実態を解説します。(日本漢字能力検定協会 現代語研究室長 佐竹秀雄)

「させていただく」を
使える“2つの要件”

 数年来、敬語表現で話題になっているのが「させていただく」の蔓延です。

 とにかく多くの人が、これでもかこれでもかというくらいによく使っています。例えば、

(1) 資料についてご説明させていただきます。(会議の場で)
(2) 本日、休業させていただきます。(店舗の掲示)
(3) 大学では経済学を専攻させていただきました。(就活の学生)

 といった調子です。このようなわざとらしい「させていただく」を使わずに

(1’) 資料についてご説明いたします。
(2’) 本日、休業いたします。
(3’) 大学では経済学を専攻しました。

 で十分だ、という意見がよく聞かれます。

「させていただく」の使い方について説明したものに、文化審議会国語分科会『敬語の指針』というものがあります。そこでは、「させていただく」を使うには、

A その行為をするのに許可を受けている
B その行為によって、恩恵を受ける事実や気持ちがある

 の2つが備わっていることを要件として挙げています。

 上の(1)は、自分が説明するべきシーンで、誰かの許可は不要ですし、(2)も同じく、休業するのに許可は不要です。(1)も(2)もAの要件を満たしていません。

 だから、(1’)や (2’)のように、ふつうの謙譲語を使って「ご説明いたします」「休業いたします」と言うほうが適切だということになります。

(3)の場合は、専攻を決めるにあたって、誰かの許可を受けた可能性はあります。しかし、専攻するだけで恩恵を受けることはありません。

 その点で、Bの要件から外れています。そもそも「専攻する」行為は自分の中で完結するものです。他人とは直接かかわりません。他人とかかわらない行為に謙譲語を使うのは不自然です。

 例えば、他人とかかわらず、自分一人で「散歩する」行為について、謙譲語を使って「私は毎朝、散歩いたします」と言うのは、尋常ではありません。謙譲語なしに「散歩しました」でいいはずです。それと「専攻する」も同じなので、「専攻しました」でいいのです。