「名画鑑賞」と聞くと、つい「どんな意味があるのか」「作者の意図は何か」と正解を探してしまいませんか? しかし、日本の伝統美術の真骨頂は、むしろ「描かれていない部分」にこそあります。今回は、『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』の著者・末永幸歩氏と、見る人の心を強く揺さぶる「あえて描かない絵画」の秘密に迫ります。(聞き手/ダイヤモンド社・森遥香)

松林図屏風出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

国宝《源氏物語絵巻》の「コピペ顔」と「リラックマ」の意外な共通点

森遥香(以下、森):『感性の教室』では、日本美術についても興味深く語られていますね。特に、平安時代の国宝《源氏物語絵巻》に描かれている登場人物たちが、男も女も全員そっくりの無表情な「コピペ顔」をしているという指摘には、ハッとさせられました。なぜ絵師は表情を描き分けなかったのでしょうか?

末永幸歩(以下、末永):表情を細かく描き分けないのは、絵師に技術がなかったからでも、当時の日本人が皆似た顔をしていたからでもありません。むしろ、あえて「表情を描かない」ことによって、鑑賞者が自分自身の感情や想像力を投影できる「余白」を残したと考えられるのです。

これと同じ効果を持っているのが、現代のキャラクターである「リラックマ」です。
リラックマは極めてシンプルな顔立ちで、感情の読めない「ニュートラルな無表情」をしています。
だからこそ、自分が嬉しいときは一緒に喜んでくれているように見え、悲しいときは寄り添って悲しんでくれているように見える。

表情という情報を「不在」にすることで、受け取る側に想像力のオーナーシップを委ねているわけです。

長谷川等伯の《松林図屏風》と「雲隠」の章

森:描かないことで、見る側の想像力を無限に引き出しているんですね。

末永:そうですね。この「余白」は、日本美術の随所に見られます。私が非常に好きな、東京国立博物館蔵の長谷川等伯《松林図屏風》もまさに同じです。

松林図屏風出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

屏風には霧に包まれたような松林が描かれていますが、背景には余白が多い。木々の背景には山々が見えるのか、鳥が飛んでいるのかといった情報はほとんど描かれておらず、色も白黒のモノトーンです。

これがもし、ルネサンス期の西洋画家であれば、背景はもちろんキャンバスの四角まで、風景を徹底的に描き込んだことでしょう。

しかし《松林図屏風》に絵かがれるのは限られた情報のみ。それによって、見る人は松林の冷たい湿気を感じたり、その奥にある広大な自然を自由に想像することができるのです。

西洋のアートがキャンバスを情報で満たすならば、日本の伝統美術は「あえて描かない不在」によって完成する参加型のアートだと言えます。