長時間労働が当たり前の新聞記者だった井上陽子さんは、39歳でデンマークに移住し、短時間労働社会のあり方に衝撃を受ける。その体験と葛藤をつづった話題の本『第3の時間――デンマークで学んだ、短く働き、人生を豊かに変える時間術』から一部を抜粋して紹介する。井上さんがハーバード大学大学院で学んでいた際に受講した、「幸せの授業」で語られたあるエピソードからお届けする。
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ハーバードの教室がため息に包まれた「X氏の人生の物語」
ハーバードの「幸せの授業」でベン・シャハー氏が語ったのは、X氏の人生の物語だ。
X氏は、賢くて幸せな子どもだった。X氏の親は、子どもが有名中学に進学することを望んでおり、X氏はさほど興味はなかったものの、親の期待に応えようと頑張って勉強し、有名中学に合格した。
ほっとしてしばらく幸せな気分に浸っていたものの、そこは競争の激しい中学校で、ついていくにはかなり勉強する必要があった。
そこで、トップの高校入学に目標を定めて勉強を頑張り、見事に合格。しばらくは嬉しさに浸っていたが、そこは相当に優秀な生徒が集まる高校である。今度は全米トップの大学入学に目標を定め、勉強を頑張った。そして見事、合格を果たした。
これでもう人生は約束されたと思い、入学から2週間ほどは喜びに浸っていたが、周りを見ると、今度こそ全国選りすぐりの優秀な学生たちである。授業が始まると、中間テストに向けてプレッシャーを感じ始めたが、人気のトップ企業に就職するためには、いい成績を取る必要がある。
履歴書も大事だから、課外活動にも精を出し、超多忙な日々を「no pain, no gain(痛みなくして得るものなし)」の精神で頑張った。
そしてついに、トップ企業への就職が決まった。これで人生は安泰だと感じ、相当な金額を稼ぎ始めた。だがほっとしていたのは2週間ほど。まだ肩書はアソシエートである。パートナーにならないと、この会社でのポジションは確実なものにできないのだ。
そこから何年も激務に耐え、X氏は、最年少でパートナーに就任した。そうして、パートナーになって3カ月ほどは喜びに浸っていたが、パートナーといっても、まだジュニア・パートナーである。そこからシニア・パートナーになれるのは、ほんの数人で、その競争は激しいものがあるのだ。
そうやって競争に勝ち抜きながらキャリアを重ね、X氏の活躍は、新聞にも載るようになった。そしてついに最高経営責任者に就任し、ニューヨークのセントラルパークを見下ろす高層ビルの最上階のオフィスで、X氏はやっとリラックスできた。
ついに、本当に、もう上がない頂点まで上り詰めたのだ。
そこで誰かが部屋をノックした。
役員の一人だった。これまでのX氏の業績を讃えながら、こう言った。
「Xさん、退く時です。あなたは72歳です」
と、ここまで言った時、教室として使っていたコンサートホールに、ああ……という力ない声と、ため息が広がったのだった。
教室にいた学生は、自分と重ね合わせながら、X氏のストーリーを聞いていたのだと思う。両親の期待を背負い、社会の言う“成功の定義”を自分に当てはめて、「そこにたどり着ければ幸せが待っている」と信じて、A地点からB地点まで最短ルートで成功を追う人生。
米国でアイビーリーグと呼ばれるトップクラスの大学に入ろうとすると、標準テストの点数が高いのはもちろんのこと、目を引くようなリーダーシップの経験など、印象的な経験を若いうちから積む必要がある。
ベン・シャハー氏は、学生のレジュメ(願書として提出する履歴書)の内容が、年を追うごとに信じられないようなハイレベルなものになっている、とため息をついていた。学生たちはそうやって、幼い頃からすべての時間と努力を、何かしらの成果につなげるような生き方をしてきて、もう、疲れてしまっているのである。ゴールを次へ次へと動かしながら、目標の達成に焦点を合わせて、ストレスとリリーフを繰り返す生き方に。
ハーバードで聞いたエリートたちの生き方が、自分と重なったのは、米国と日本が競争社会という意味で似通っているからだろう。セラピストとの対話の中で、次第に鍵となるテーマになっていったのが、私が影響を受けてきた「パフォーマンス文化」についてだった。
パフォーマンス文化の弊害
パフォーマンス文化とは、成果や効率、ゴールの達成を重視し、個人の価値を「どれだけできたか」で判断する考え方である。
そんな文化のなかでは、休息とは仕事を怠けていること、キャリア上の停滞は能力の停滞、とも受け取られ、人間らしさよりも生産性の高さの方が優先されがちだ。効率と成果が重視される資本主義社会では、そんなパフォーマンス文化が根付きやすい。
パフォーマンスの向上を至上命題にする考え方だと、何かを達成するために、「直線でゴールに進む」考え方になりかねない。そうすると、何の役にも立ってないように思える時間、例えば、最短ルートを進まずにわざわざ回り道をしているような時間に、イライラしてしまう。
そして、何かにたどり着けなければ、例えば、何かを学んだことが「試験に合格」という成果につながらなかったら、まるでそれにかけた時間が無駄だったかのような、“オール・オア・ナッシング”の思考にも陥りがちである。
でも、そんなふうに隅から隅まで時間をくまなく生産的なことにつなげようという考え方をしていたら、今という時間を、将来のための手段としか捉えられなくなってしまうだろう。
だけど、時間というのは、いつまでたっても永遠に、今の連続でしかないのだ。今という時間を、条件なしに楽しむことができなかったら、いったいどれくらいの時間を、本当に生きていることになるだろう。
その点、私が出会ってきたデンマーク人たちは、「この試験に合格するまでは」とか「この大事な仕事が終わった後に」みたいに、楽しみを先へ先へと持ち越すことなく、大切な人たちと楽しい時間を過ごすことを、いつでも、日常的にやっているように見えた――夫が言うところの、「コンパートメント化」という言葉によく表われているように。
ジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー
筑波大学国際関係学類卒業後、読売新聞社に記者として入社。社会部で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局で特派員を務める。読売新聞在職中に、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。2015年、妊娠を機に夫の母国であるデンマークに移住。ビジネス・インサイダーなどメディアへの執筆のほか、デンマークの経済社会や働き方に関する講演、日本とのビジネスに取り組むデンマーク企業などのサポートも行っている。共著に「『稼ぐ小国』の戦略 世界で沈む日本が成功した6つの国に学べること」(光文社新書)。






