1973年、英国人のモーリスとマラリンのベイリー夫妻は、太平洋を航海中にクジラと衝突して船を失い118日間も漂流することとなった。奇跡の生還と、その後のふたりの人生を描いたノンフィクション『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著、村井章子訳)に推薦文を寄せたのが、作家の椎名誠さんだ。椎名さんは200冊を超える漂流記・探検記・冒険記を読み込んできた、日本屈指の「漂流記読み」でもある。今回、その椎名さんへのインタビューが実現! 最終回は漂流記の魅力について聞いた。(取材・構成/小川晶子)

極限状況をどう生き抜くか? 日本一の漂流記マニア椎名誠に聞く「漂流記」の魅力Photo: Adobe Stock

漂流記に惹かれる理由

――椎名さんは「漂流記マニア」だそうですね。そもそも、なぜ漂流記に惹かれたのでしょうか。

椎名誠(以下、椎名):極限状況をどう生き延びたかを読むのが好きなんです。漂流ってとんでもなく過酷で、常に死と隣り合わせでしょう? 僕がひとりでそういう状況になったら、すぐにあきらめちゃうだろうなぁ。だから生き延びた人をすごいなぁと尊敬しながら読んでいます。

漂流は海ですが、山で遭難したり炭鉱の落盤で閉じ込められたりとさまざまな極限状況をサバイバルしてきた人たちがいます。
漂流記・探検記・冒険記は200冊以上読んできました。
注意して見ているからか、ふしぎと手に入るんですよ。原本が手に入らなくても写しを見せてもらったりして。

江戸後期にロシアに漂流した大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)の記録『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』は古文書なので読みにくいけど、やっぱり面白かったですね。それで、好きな漂流記をなぞって旅をしながらドキュメンタリーを撮ったり、本に書いたりということをやってきました。

――いやぁ、すごいですね。椎名さんは日本一漂流記を読んでいる作家なのではないでしょうか。

椎名:自分でもそう思います。

――最初に読んだ漂流記は覚えていらっしゃいますか?

椎名:『十五少年漂流記』です。フィクションだけど、小学生の頃に読んだときは本当の話かと思って読んでいました。少ない道具や素材を使い、創意工夫してうまくやっていくんですよね。その挑戦がすごく面白かった。『ロビンソン・クルーソー』と並んで、創作漂流記の中では傑作だと思います。

「救助後」が読みどころ!

――『極限の漂流118日間』はイギリス人のベイリー夫妻の手記やインタビューの記録などから再構成された本ですが、元となったベイリー夫妻自身による『117日間死の漂流』(講談社)は1974年に邦訳されていました。椎名さんは『117日間死の漂流』を読んだことがあったそうですね。

椎名:読んでいました。マイベストに入るような面白い漂流記だから処分せずにとってありましたよ。写真も多くてリアルですごくいいんです。

――本人による手記と今回の本では、印象は違いましたか?

椎名:違いました。漂流記というのは、だいたい救助されて終わりなんです。
ところが『極限の漂流118日間』は違う。
救助後の人生についても第三者である作家がいろいろな人に取材し、本人たちの述懐も入れて詳細にわたって書いています。漂流中の話は何度も読んでいたので知っていましたが、後日談が読めるのが非常に面白かったです。

漂流記初心者は救助されたところで「やれやれ、良かった」と思って読むのをやめてしまうかもしれないけど、この本の本当の読みどころは「陸に上がってから」ですからね。

助かったらハッピーエンドではない

――救助後の話ではどんなシーンが印象的でしたか?

椎名:漂流から生還し、ふたりは英雄として迎えられるんです。
でも、ハッピーエンドになるかといえばそんなことはありません。第一、マスコミ対応が大変なんですよ。同じ質問を何度もされるうえに、うまく伝わらないストレスを抱えて、よく耐えたなと思いました。

話せば話すほど、いくら説明しても真実は伝えられないのだとモーリスは気づく。(中略)
事実を述べただけでは、ふたりの内的体験は浮かび上がってこない。大海の中で長い間ふたりきりでいるのはどんなことなのか。餓死しかかるとはどんな感じなのか。二度と再び人間を見ることはないと想像する恐怖はどんなものなのか。話してわかることではない。モーリスは疲れてきた。

――『極限の漂流118日間』より

椎名:晩年のモーリス(夫)は人生を振り返りながら手紙をたくさん書いています。彼の手紙はどれもおそろしく長いとのことで、ものを書く人なんだなぁと思いましたね。
人生後半の描写を読むと、漂流中、夫婦ふたりきりで過ごした濃厚な時間がいかにその後に深く影響しているかがわかります。
ぜひ漂流後にも注目して読んでもらいたいですね。