国際連盟は、なぜ第二次世界大戦を防げなかったのか。第一次世界大戦後の苦い教訓を胸に、米大統領フランクリン・ルーズベルトが目を向けたのは、戦争の勝利だけではなかった。戦争の行方も定まらない1941年、チャーチルとともに大西洋憲章を示し、すでに戦後の国際秩序を構想していたのだ。やがてその発想は国際連合の創設、安全保障理事会の仕組みへとつながっていく。なぜ大国に特別な役割を与えたのか。書籍『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、国連誕生の背景と、いまも続く世界秩序の原点を、戦争と外交の歴史から丁寧に読み解く。

なぜ国際連盟は戦争を防げなかった? ルーズベルトが1941年から描いていた「国連の原点」Photo: Adobe Stock

アメリカさえ加盟せず…国際連盟が抱えていた大きな弱点

 ルーズベルトを第二次世界大戦の指導者として考えるとき、最大の功績は戦争に勝ったことだけではない。むしろ重要なのは、戦争が終わった後の世界を、戦争中から構想していたことである。

 第一次世界大戦後には国際連盟が作られた。しかし提唱国の一つだったアメリカ自身が加盟せず、ドイツや日本なども後に脱退した。結果として、第二次世界大戦を防ぐことはできなかった。

 ルーズベルトは、この失敗を繰り返さない国際機構を作ろうとした。

勝敗も決まらない1941年、ルーズベルトが描いていた「戦後の世界」

 その出発点の一つが、1941年の大西洋憲章である。ルーズベルトとイギリスのチャーチルが示したこの文書には、領土拡張を求めないこと、民族自決、自由な貿易、軍縮、平和な国際秩序など、戦後世界の基本原則が盛り込まれた。

 まだ戦争の勝敗さえ決まっていない段階で、すでに「勝った後をどうするか」を考えていたのである。

 翌1942年には連合国共同宣言が出され、「United Nations」という枠組みが生まれた。さらに戦争後半には、アメリカ、イギリス、ソ連、中国などを中心に、戦後の国際機構について具体的な制度設計が進められていく。

なぜ国連は大国だけに「拒否権」を与えたのか?ルーズベルトの現実主義

 ルーズベルトが重視したのは、単なる理想主義ではなかった。第一次世界大戦後の反省から、大国が国際秩序の維持に責任を持たなければ平和は守れないと考えた。その考えが、現在の国連安全保障理事会や常任理事国制度につながっている。

 もちろん、この制度には問題も多い。常任理事国だけが拒否権を持つ仕組みは、国の平等という理念とは矛盾する。

 それでも、大国を国際組織の外に置くより、その力を組織内部に取り込んだ方が現実的だという発想だった。ルーズベルト自身は1945年4月に亡くなり、国際連合の正式発足を見ることはできなかった。

 しかし現在の国際秩序をたどっていくと、その設計図の重要な部分に彼の考えが残っている。ルーズベルトは戦時大統領であると同時に、「戦後世界の設計者」でもあったのである。