道とん堀社長 稲場裕幸 |
2007年の3月末、数多くの飲食店が立ち並ぶ大阪の有名な繁華街、道頓堀に新しいお好み焼きの大型店が開業した。その大型店は、4階建てのビルの壁一面に巨大なタヌキの看板をドドンと構え、いやでも目立ってしまうほど。地元ではオープン早々、ちょっとした話題となった。その店の名もまさに「道とん堀」。
話題になるのも無理はない。この道とん堀は、東京生まれのお好み焼きチェーン店だ。大阪はお好み焼きの本場、しかも、地元の有名店がひしめく道頓堀という激戦地に、不敵にもその地名を冠した東京発のお好み焼き屋が店を構えたのだ。
社長の稲場裕幸は「“道とん堀”というのは、道頓堀で修業した母が営んでいたお好み焼き屋の店名から付けたもの。道頓堀に店を出すのは創業以来の一つの夢だった」と説明する。
稲場は高校卒業後、調理師学校に通い、調理師免許を取得した後、居酒屋など複数の飲食店での勤務を経て、23歳のときに後輩の誘いで健康器具の販売会社に就職、3年間を過ごした。
当時の稲場は歩合で月収が90万円を超え、200人を超える会場で同僚らを相手に営業ノウハウを講演するほどのトップセールスマンだったが、幸運は長く続かず、会社はバブル崩壊後の不景気で倒産寸前となった。社内では足の引っ張り合いも多くなり、人間関係は最悪に。「とにかく、辞めたかった」。
すでに稲場は妻と幼い2人の子どもも抱えており、先の見通しもなく辞めるわけにはいかない。「何をやってよいのかわからず、途方に暮れていた」。
背中を押した母の言葉
よみがえったのは高校時代の楽しい思い出
そんなとき、稲場の背中を押したのが、母親のひと言だった。
「お好み焼き屋って、意外と儲かるのよ。やってみたら」
思い起こせば、稲場が高校卒業後に飲食業界に飛び込んだのは、高校時代に母親のお好み焼き屋を手伝ったのがきっかけだ。毎日、楽しく、母と仕事をしていた頃の記憶がよみがえった。
行動は早いほうだ。早速、お好み焼き屋のフランチャイズ(FC)化を思い描き、大胆にも当時あった大阪と広島のお好み焼き屋チェーン店本社にFC化のノウハウを聞きに行った。また、各地の有名店を食べ歩いたすえ、職場の仲間3人を引き連れ、1990年、自分の26歳の誕生日(4月16日)に道とん堀を設立した。