4月22日に表面化した「三井造船との経営統合話」は、川崎重工の社内クーデターにより、破談に至った。産業界ばかりか世間の注目を集めた騒動の渦中で、 新社長に就任した村山滋氏は、胸の内でどのように考えていたのか。また、どのような考え方の経営者なのか。幼少時代の話からさかのぼって、問題意識を聞いた。
むらやま・しげる/1950年、大阪府生まれ。74年、京都大学大学院航空工学科修士課程修了後、川崎重工業に入社。2001年4月、航空宇宙カンパニー 技術本部ヘリコプタ設計部長。03年11月、新明和工業に出向。05年4月、執行役員航空宇宙カンパニーバイスプレジデント。11年4月、航空宇宙カンパ ニープレジデント。同年6月、代表取締役常務兼航空宇宙カンパニープレジデント。13年6月、代表取締役社長に就任。気分転換は、モーツァルトの音楽を聴 くこと。
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――最近になってから、6月13日に電撃解任した長谷川聰前社長、髙尾光俊前副社長、広畑昌彦常務取締役と「嘱託契約」を結びました。それで“幕引き”となるのですか。
いやいや。全然そういうつもりはありません。8月のお盆休み前に私が3人と一緒に会いました。
処遇は、「“途中で退任した役員に適用する内規”に従い、非常勤の嘱託にさせていただきます」と説明し、サインをもらいました。条件は、1人ずつ異なっていますが、必要があれば専門分野について助言を求めたり、出張に行ってもらったりする予定です。
――三井造船との経営統合交渉をめぐって、株主総会の2週間前という唐突感のあるタイミングで、前社長を含む3人の取締役を解任しました。実際問題として、ほかに手段はなかったのですか。
本来、解任騒動などは必要ないと思っていました。新聞にもいろいろ書かれましたが、川崎重工のような会社で、あのような事態が起こることは、私自身、考えてもみませんでした。
過去三十数年間、3人と一緒にやってきましたし、個人的に仲がよいほうでしたから、本当につらい選択でした。それ以外の手段は、なかったのです。M&Aの交渉を内密で進めることは否定しませんが、取締役会では“対等な立場”で話し合うのが原理・原則です。
例えば、いったん取締役全員が反対したにもかかわらず、議事録には正確な記載がなされず、その後開かれるはずだった取締役会も開かれず、デュー・デリジェンス(投資の適格性を判断する調査)を続ける指示が出されていました。もはや、時間がなかったのです。