全国で若手首長が続々と誕生するなか
市長選に立候補する「76歳新人」の思い
若い首長が相次いで誕生するようになり、いまや30代の自治体トップもそれほど珍しいものではなくなった。現に市長の最年少記録は更新に更新を重ね、いまや20代に突入した。
今年6月に当選した岐阜県美濃加茂市の藤井浩人氏、28歳である。市町村長の被選挙権は25歳以上なので、下限にまで迫りつつある。
日本のメディアは、若い首長が生まれると決まって大きなニュースとして取り上げ、しかも好意的に伝えてきた。20代や30代の若者が首長選に出馬したり、ましてや当選することなど、ひと昔前にはあり得なかった。それだけ新奇さに富む出来事なのである。
メディアが若い首長の出現に沸く理由は、他にもある。地域の将来に対する危機感や不安感が生み出した現象と考えられるからだ。リスクを背負って出馬した若者と変化を期待して投票した住民たち。双方ともに「地域を変えなければ」という切迫感を募らせ、これまでの常識を越えた行動に出たのである。
それには「しがらみのない清新な人が良い」となり、組織の支援を受けない若手候補などの当選につながったと分析される。
もっとも、首長としての適格性に年齢はあまり関係ない。若ければ良いというものではないし、ダメというものでもない。もちろん、高齢の場合も同様だ。首長に求められるのは知力、体力、胆力、組織運営力であり、それらの多寡は年齢だけで即断できない。個々人によって様々であるからだ。
また、これまでの政治や行政とのしがらみの有無強弱も、実際のところ、年齢とはあまり関係ない。若い頃からしがらみにまみれている人も存在する。
厳しい現実に直面しているのは、特定の地域に限らない。地方の衰退は拡大する一方で、閉塞感が蔓延している。若い首長の誕生は、いまやどこにでも起こり得るものといってよい。