無投票・無風の市長選挙が常態化し、市民不在の行政運営が当たり前となっていた「談合政治のまち」、三重県松阪市。そんな現状に「待った」をかけ、2009年、当時史上最年少となる33歳で市長に当選したのが、現在2期目の山中光茂氏だ。山中市長は、市民と職員が一体となって「役割と責任」を果たしていくまちづくりを目指し、そのための手法として市民との直接対話を重視している。市政全般に関わる重要案件については、政策を決定する前に必ずワークショップや意見聴取会を開き、市民にあらゆる情報を示した上で議論を重ね、政策決定につなげる。「市民懇談会」「このまちミーティング」と呼ばれる地域ごとの住民との対話集会を、毎週のように開催する。その徹底した取り組みは、連載『地方自治腰砕け通信記』でも詳しく紹介した。自らを「永遠の偽善者」と呼ぶ山中市長は、なぜそこまで頑張れるのか。日本の若手首長のリーダー格として多くのメディアで採り上げられる市長の素顔に迫り、原動力の秘密を聞いた。(聞き手/ジャーナリスト・相川俊英)

やまなか・みつしげ
松阪市長。1976年に三重県松阪市で生まれ、高校卒業まで地元で過ごす。群馬大学医学部卒、松下政経塾出身。2003年に医師免許を取得後、「NPO法人少年ケニアの友」の医療担当専門員として、ケニアにおけるエイズプロジェクト立ち上げなどに関わる。その後、民主党の国会議員の秘書などを経て、07年に三重県議会議員に立候補し、当選。09年1月の松阪市長選挙に出馬し、自民党や民主党、公明党、各種業界団体や労働組合などが推す現職を破り、初当選。現在2期目を務める。

市民にとって本当に必要な政策を
みんなで一緒に考えるまちづくり

――市長に就任してから、休みなしで動いていると聞きました。

 課題が山積しているからです。就任したときには保育園の民営化や風車事業、駅西の再開発、高額医療機器の購入問題や市庁舎の建て替えなど、たくさんありました。最大の問題点は、そうした政策の決め方、プロセスです。

 これまでの行政は、市民の意見を聞く場として審議会を開いてきました。しかし、(特定の)代表者の意見をまとめた形の答申は、アリバイにすぎません。答申内容は事前に行政側が実質的につくり上げたもので、審議会はセレモ二ーでしかなかったのです。

 市長や行政組織がトップダウンで色々な案件を決定し、市民はその後に説明を受けるだけでした。自分たちの意見を言う場がなく、市政の決定プロセスに関わることができなかったのです。

――それは、どの自治体も似たような状況だと思います。「行政というのはそんなもんだ」と諦めの声をよく耳にします。

 私は、市民にとって当たり前の幸せを実現していくために、その政策が本当に必要なのかどうかを、みんなで一緒に考えていくという方針を示しました。