「いやあ、見るからに雑菌だらけの場所だったもんで(笑)」

 しかし、その厳しい住環境が井上さんを奮起させもした。

「要するに、ピンキリで言う『キリ』な訳でしょう。ここで酒が造れるようになったら、世界中、どこでも造れるわけで。こら、本気にならないかん、と思いましたね」

 通いだすと、井上さんは「案外いいところだ」とも感じたらしい。なにせ、みな陽気に挨拶をしてくれる。蒸留酒を作る実験には、フィリピンと日本を行き来していた森住さんがかねて付き合いのあった人物で、スラム街で暮らすマイケルさんも参加した。完成した蒸留酒をカクテルにして住人たちに試飲してもらうと、評判は上々だったという。 

Wanicのメンバーが最初に考案した「ココナッツ酒」。特製のキットで実に穴を開け、誰でも手軽に醸造酒を作ることができる。実際に試飲した人々は「甘くておいしい」「さわやかな香りがする」などの感想を寄せていた。一方の蒸留酒はアルコール度数が40度近くまで上がるため、カクテルのベースとして使う。いずれもまだ未発売

 9月末の土曜日、プロジェクトの出資者向けにフィリピンでの改良実験の報告会とカクテルパーティーが催された。筆者もそれに参加した。

「次はいよいよ生産に向けて動き出すことになると思いますが、具体的にはどういうステップでの展開を想定されていますか?」

 報告会では、出資者たちからこんな鋭い質問が飛んだ。投資効果を期待している人はおそらく、誰もいなかっただろう。みな、多かれ少なかれその目的に賛同し、プロジェクトの「今後」のためにポケットマネーを投じていた。

 パーティーの席で、井上さんがこうつぶやいた。

「まったく軽いよね、あいつらは」

 そして、すぐにこう付け加えた。

「だけど、あの軽さが羨ましいね。僕らの世代にはないもの」

 私たちはつい、プロジェクトに「重さ」を求めがちだ。しかし、最初から重いと、とても遠くまでは飛べない。どんな企業も、あるいは、大成功したプロジェクトも、その成り立ちは個人的な「軽い」思いからスタートしたに違いないのである。

「僕ら旧世代はつい、人生背負わないと大きなことはできないと思っちゃう。けど、あの軽さがあるからこそ越えられるものも、あるんじゃないだろうか……」

 井上さんはそう言った。