プレスルームの人々は
2014年の日本をどう見ていたか

過去数年にわたって行ってきた理科教育の実践とその結果について発表する筆者(2013年2月、ボストン)。AAAS年次大会でシンポジウムを開催すること・シンポジウムで発表することは非常な難関だが、ポスター発表を行うことはそれほど困難ではない。当然ながら、内容が学術発表であることは要求され、審査もある。しかし、発表者・共同研究者らが大学・研究機関等に所属していることは要求されない
Photo by Y.M.

 最後に、AAAS年次大会に集まる世界の報道関係者が、東日本大震災についてどう反応していたかについて紹介しておきたい。

 筆者は2013年以後、年次大会のプレスルームで、日本の「saveMLAK」プロジェクトのバッジとチラシを配布している。東日本大震災後、運営続行・存続が危機にさらされた美術館・図書館・文書館・公民館等の社会教育施設を支援するプロジェクトで、現在も継続している。科学の祭典に集う報道関係者が、社会教育について関心を持たないわけはない。しかし、日本で地道に続いているこのようなプロジェクトに接する機会は少ないであろう。ということで、筆者はこのプロジェクトの広報を勝手に買って出て、プレスルームでバッジや資料を配布し、可能であれば内容や現状を少し話すことにしている。このため、自然な形で、東日本大震災を話題にすることができる。

筆者がプレスルームの資料配布コーナーに設置したSaveMLAKプロジェクトのバッジ(渡辺ゆきの氏デザイン)とチラシ。毎年、関心と好感を持って受け取られている。バッジは好評で、時に補充が追いつかないほど
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「東日本大震災からの復興はまだ充分ではなく、社会教育施設も、まだ震災前と同様に整備されていないところが数多く残っている」

 というふうに筆者が話すと、

「え? 日本に残っている問題は福島原発だけかと思ってたけど、まだ復活しきってなかったんだ」

 という返事があったり、

「そういえば、福島原発のせいで地域に住めなくなった人たちは、その後どうなってるの? ちゃんと新しい地域で再スタートできてるの?」

 と尋ねられたりする。東日本大震災から、3年もの時間が経過した。その間にも世界中で大規模自然災害や政変が起こり続けている。だから、日本国外の人々から意識されることは少なくなっている。けれども、忘れられているわけでも、顧みられなくなっているわけでもない。

同時に行われたエキジビション会場では、入り口すぐそばに「ジャパン・パビリオン(日本の複数の大学・研究機関等による共同展示)」が設けられ、来場客で賑わっていた
Photo by Y.M.

 そして、福島第一原発が未だ「収束」といえる状況から程遠いことは、多くの人々が知っていた。また、関心を向けつづけていた。このことは強調しておきたい。

 原発政策に少し関心の高い人は、日本で原発の再稼働計画があることも知っていて、

「万全の安全策を講じて再稼働するという話だけど、どういう安全策だか知ってる?」

 と尋ねてきたりもする。

「いや、停止前と特に変わることはなくて。稼動するための基準は震災前より厳しくはなっているし、若干の改良もされているけど、画期的な安全策が講じられたというわけではないよ」

 と答えると、

「本当? 日本人は反対してないの?」

 と、さらに尋ねられる。本当だし、反対している日本人もいる。でも、大きな影響力にまではなれない。そして、このことを納得してもらうほど、筆者は英語が堪能であるわけではない。そもそも、立ち話に毛が生えた程度の時間で、選挙区制・議員定数など数多くの問題を、どうやって説明すればよいのだろうか……。

 今、筆者が痛感しているのは、日本の「今」を世界に発信する人々の不足である。旅費と時間を確保して米国に行き、このような学術大会に参加したり発表したりすることは、誰にでも容易にできることではないだろう。でも、拙い英語であっても自分の言葉で、自分の知っている日本の「今」を発信する日本人が増えていけば、少しずつでも状況は変わっていくのではないだろうか? 世界の人々の日本観・日本人観が変わり、ついで、世界との「つながり」が、いわゆるグローバリゼーションとは異なる形で日本国内を変えていく可能性はないだろうか? 

 筆者は、そこに希望を託したいと思っている。