「お食事券」ではなく「汚職事件」

 ウィキペディアの貼りつけの箇所は気になるけれど、確かにそういう思い込みってあるよなと僕はうなずいた。もう夕方だ。とにかく起きなくちゃ。顔を洗って歯を磨きながら、言葉のヒアリングの危うさについて、もう一度考える。

 そういえばこの長男が小学校1年か2年のころ、テレビのニュースをぼんやりと眺めていた僕の横で、ふいに「いいなあ」とつぶやいたことがある。

 「何が?」

 「僕もほしい」

 「何を?」

 「お食事券」

 長男の視線はテレビの画面。自民党の代議士が、企業からの不正献金と便宜供与で、東京地検特捜部に逮捕されたとのニュースだった。

 つまり、お食事券ではなくて汚職事件。

 この長男はよほど思い込みが強いのか、「波浪注意報」を「ハロー注意報」と思い込み、「ハローって挨拶はあまりしてはいけないんだよね」と真顔で言ったこともある。

 でも歌詞くらいなら、「アルプス一万尺 小槍のうえで」が「アルプス一万ジャック 小山羊のうえで」と思い込んだところで、世界観に大きな誤解は生じない。アニメ「巨人の星」の主題歌にある「思い込んだら 試練の道を」の部分を、「重いコンダラ 試練の道を」と思い込み(このフレーズが流れるちょうどそのあたりで、飛遊馬が西日の差すグランドの整備をしている場面になることもあって)、あのグランド整備のローラーをコンダラという名称なのだと思い込んだ人は僕の世代にかなりいたはずだけれど、でもローラーをコンダラと思い込んだからといって、その後の人生に大きな弊害があるわけじゃない。

 問題は言葉の聞き違いではなく、言葉の無自覚な言い換えなのだ。こちらは「ちょっと恥ずかしい思いをする」のレベルではない。

 「日米同盟」という言葉を、最近のニュースや新聞の紙面で、きっとあなたも何度か聞いたり読んだりしているはずだ。ならば考えてほしい。この言葉は昔からあっただろうか。