赤倉温泉は1998年と2006年にも床上浸水の洪水に見舞われ、治水対策が急がれた。川にせり出すように建てられた温泉旅館などが浸水したのである。一方、多目的ダムの計画はその後、治水ダムに変更され、「環境への影響が少ない」とされる穴あきダム方式の採用が急浮上した。

 山形県は「温泉影響調査」を実施(2008年度)し、「川を掘り下げると川底から温泉が湧き出し(温泉旅館の)源泉に影響が出るため、大規模な河川整備ができない」と結論付けた。そして、穴あきダムの建設が最も安く、早くできる治水対策としたのである。

 県はこうした事情を住民に繰り返し説明し、広報紙にも掲載した。1988年の実例を根拠とするだけに、説得力に満ちていた。誰もが「なるほど、穴あきダムの建設計画はそういう事情があってのことか」とうなずいたのである。流域自治体関係者のAさんも例外ではなかった。

湯温低下訴訟がダム建設の言い訳に
実は別の工事によって引き起こされた?

 ところが、ここにきて巨大な疑惑が浮上している。1988年に発生した温泉旅館の湯温の低下事件である。県の護岸工事がその要因ではなく、その後に実施された別の工事が引き起こしたものとの疑いが濃厚となっている。

 当時の工事記録(当該の温泉旅館の湯温データなど)を検証したところ、護岸工事中の湯の温度は以前と変わらず、湯温が10度も下がったのは翌1989年11月の別の工事後だった。それは、先の護岸工事で湯温が低下したとの抗議を受けて、県が温泉旅館Kで実施した源泉のボーリング孔の浚渫や拡幅工事だった。つまり、その前年に実施された護岸工事は濡れ衣だったということになる。

 さらに、問題の工事は河床には触れていなかった。しかも、「回復不能」とされたその温泉旅館Kの源泉は、その後いつの間にか元に戻っていた。地下水流入防止工事を行ったところ、湯温、量ともに回復したのである。

 隠されていた重大事実を指摘したのは、ダム工事の公金支出差し止めを求める住民訴訟(2012年9月提訴)の清野真人・原告団事務局長だ。ダム建設に反対する住民グル―プ「最上小国川の清流を守る会」(高桑順一・共同代表)のメンバーである。

 清野事務局長は、山形県(被告側)が自らの主張を補充するために提出した膨大な証拠類を徹底解析し、この事実を突き止めたのである。県の「(最上小国川の)河川整備はできない」という主張の根拠が崩れることに他ならない。