県は結局、4回にわたって計約6425万円の補償金を相手側に支払うことになった。この手痛い体験から、県は「河道改修はできない」と判断し、ダムによる治水を推進して行くしかなくなったのだと地元では信じられてきた。

  ところが、地域の共通理解の大前提を覆すような重大な事実がつい最近になって発見された。「守る会」のメンバーらは2012年9月に、最上小国川ダム工事の公金差し止め訴訟を提起した。その住民訴訟の中で原告メンバーが、衝撃の新事実を突き止めたのである。

  山形県が裁判所に提出した当時の工事記録(当該の温泉旅館の湯温データなど)を検証したところ、問題の護岸工事中の湯の温度は通常とそう変わらず、湯温が10度も下がったのは、翌1989年11月の別の工事後だったことがわかった。それは、先の護岸工事で湯温が低下したとのクレームを受けて、県が金山荘で実施した源泉のボーリング孔の浚渫や拡幅工事だった。つまり、その前年に実施された護岸工事は湯温低下とは無関係だったことになる。

  どうやら、源泉のボ―リング孔の拡幅工事で誤って地下水が流入してしまうようになったのが、湯温低下の要因らしい。しかも、「回復不能」とされた金山荘の源泉は、その後、地下流入防止工事を行ったことにより、元に戻っていたという。

一杯食わされた県が住民を騙す側に?
腑に落ちない点が多い最上小国川騒動

 では、なぜ山形県は相手側の言い分をそっくり受け入れて、多額の補償金を支払ったのだろうか。実は、この点以外にもいくつかの謎が残っている。

 地元の老人によると、金山荘はもともと土産物屋だったという。それが温泉旅館としての営業許可を取得したのは、1988年11月。つまり、県が行った護岸工事の直前である。その後、1996年12月に廃業届を提出し、当時の詳細を知る当事者はすでにこの世にいない。

 結局、一杯食わされた県がそのネタを口実にし、住民を騙す側に回ったということなのだろうか。それとも、県は本当に護岸工事で対岸の温泉旅館の湯温が低下し、営業に損害を与えてしまったと判断したのだろうか。そうだとしても腑に落ちない点があまりにも多く、全てが巧妙に仕組まれたものだったのではないかと疑いたくもなってしまうのである。県がしゃにむに推進する「穴あきダム」計画そのものに、大きな穴があるように思えてならない。