見返りのない「努力」が、
「可能性」を生み出す

 堤さんは、東京生まれの東京育ち。

「絵」とは無縁な環境で育つ。高校時代に打ち込んだのは野球。弱小校だったが、気持ちだけは強豪校の選手にも負けなかったと振り返る。

「野球部は弱かったし、僕も小柄でしたから、劣等感はありました。だからこそ、どうやったら勝てるかを考えて、必死で練習しました。だけど、やっぱり強豪校には勝てない。それに、どんなにがんばってもプロになれる可能性はない。報われることはないとわかっていました。それでも、一生懸命やるのが苦じゃなかったのは、野球が大好きだったからです」

 ところが、野球のやり過ぎで、受験勉強はゼロ。受験競争からは早々に脱落してしまった。しかも、「18歳になったら親元から離れること」というのが母親の方針。浪人するという選択肢もない……。そこで、思い切って米国に留学することにした。英語はまったく話せなかったのだから、無謀ともいえる選択だが、とにかく、「新しい環境に飛びこんで何かを見つけよう」と思ったそうだ。

 そして、ここで「絵」と出会う。

 留学といっても、入学したのはニューヨークの小さなコミュニティカレッジ。日本のカルチャーセンターに毛のはえたような場所だったそうだ。そして、「英語力がなくても単位が取れるクラスはないか?」と考えて選択したのが、絵のクラスだった。クラスメートは、地元のおじいちゃんやおばあちゃんばかり。ところが、そのクラスメートが、堤さんの描いた絵を手放しで褒めてくれたことが、彼の人生を変える。

「優しい人たちばかりで、みんなに褒められました。それで、自分は絵の才能があると思っちゃって、真剣に描きはじめたんです。いまからしたらヒドイ絵なんですけど、いい意味で“勘違い”したのがよかったのかもしれませんね」

 ここで、「好き」なものに出会うと、とことん没頭する堤さんの強みが生きる。

 コミュニティカレッジで無我夢中になって絵を描き続けた堤さんは、4年制の美大に編入することを決意。美大は私立が多く、学費が半端ではなく高かったが、マンハッタンにある私立の美大から奨学金がもらえることになった。一教科でもB以下の成績を取ったら奨学金が止められるという厳しい条件だったが、それが、かえってよかったという。