みんなで勝ち組になるのは、どだい無理な話だ。仮に百歩譲って、日本人みんなが得して成功することがあったとしても、そのときにはおそらくフィリピンとかラオスあたりに、何らかの形で“負け”を押しつけられた人たちがいるだけだ。
違う! 俺はそもそも競争なんかしなければ、みんな幸せになれるって言ってんの! という人もいるだろう。でも、これも違うな。だって人間も動物である以上、何らかの形で“生存競争”は、すでに最初から宿命づけられているからだ。
もちろん、僕らは野生動物ではないから、リアルな「食うか食われるか」はない。でも社会的動物ではあるから、「食うか食われるか」が昇華した競争は背負っている。それが経済活動だ。
僕らは素っ裸で外に突っ立っていたら、いずれ死ぬ。生きるためにはメシも食わなきゃならないし、寒けりゃ家も服も必要だ。では、それらを手に入れるためには何をする? 働いて金を稼ぐか、人から奪い取るしかない。これらを「利己的」「欲望」「競争」と一切からめないで実現させることなんか不可能だ。
経済社会に生きる以上、欲望を恥じるな。誰だってキレイになりたいし、タコヤキのにおいを「うまそう」だと感じる。それがすでに欲望だ。そして“自分が”キレイになりたい、“自分が”うまい物を食いたいと思うことが「利己的」であり、その利己的な欲望を実現するための努力が、経済活動だ。
ほしい物を手にするための努力の、どこが恥ずかしい? 世の中に便利なモノや素敵なモノがあふれ返っているのを見て、恥ずかしいと思うか? 人間が「死なないだけで十分」なんて人ばかりなら、この世にiPad なんか生まれていない。それを「欲望や利己的は悪い」というのはイメージが貧困すぎる。
この連載では、その「欲望の体系」を、歴史のタテの流れを通して楽しんでもらおう。初期の欲望はどうだったのか? その後、欲望はどう変質したのか? 人類の先輩方はなかなか楽しく、悪者だらけだ。僕らもその先輩方を通して、“必要悪”を学ばせてもらおうではないか。