孫正義 自分の設立した企業・ソフトバンクを通じて、孫正義は日本的な「系列」のビジネスモデルに着目し、それをインターネット企業に応用した。この大胆な手法がうまくいくかどうかを判断するのはまだ早い。とはいうものの、メディアから「インターネットの帝王」と呼ばれたその経歴を見ると、才能にめぐまれた、有無を言わさぬ起業家であることがわかる。

 孫は頭のよい生徒で、スポーツや遊びよりもビジネスに関心があり、早くから起業家的能力を発揮した。

 1973年にアメリカに渡ると、カリフォルニア大学で得た知識を応用して電子手帳を考案した。この特許を売却して100万ドルという大金を手にすると、それをもとにビデオゲーム事業を育てて成功をおさめ、1981年に日本に帰国する。そこでつくった会社がソフトバンクだった。少年が切手の収集に走るように、このソフトバンクは創業間もないドットコム企業の株を買いまくった。

 肝炎の病から回復すると、ヤフー株で金脈を掘りあてる。1999年、その目を日本国内に向け、低迷している日本のドットコムマーケットで株を買い集めた。インターネット革命が頓挫して苦境には立たされたものの、生き残った。リストラクチャリングをなし遂げたソフトバンクは、景気後退後のeコマースマーケットで優位に立てるだけの地位を確保した。

生い立ち

 民族的には韓国人の孫は、1957年8月11日、九州は佐賀県の鳥栖で生まれ、育った。父は小さな企業を経営していた。福岡にある有名校に入ったが、早い時期からビジネスに興味を抱いていた。他の生徒がミュージシャンやスポーツ選手になりたいと考えるような時期、孫のヒーローは日本でマクドナルドを成功させた藤田田だった。どうしても藤田に会いたいという思いからそのオフィスに直接電話をし、東京で面会する約束を取り付けた。藤田と会ったことがきっかけで孫はアメリカに関心を持つようになり、1973年、英語を学ぶ目的でカリフォルニアに渡る。