青色の発光ダイオードを発明した中村修二氏のノーベル物理学賞の受賞が決まった。受賞に至るまで発明の帰属や対価をめぐって戦い続けてきた姿から、中村氏にはこわもての印象が拭い切れないが実態は違う。長年にわたって取材してきたジャーナリストが、中村氏の素顔と功績を明かす。(取材・文/ジャーナリスト 高田福一)

「半導体の研究を突き詰めることができた。これからは常識を覆す研究に取り組む気持ちを学生に教えたい」

ノーベル物理学賞の受賞決定から一夜明け、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の講堂で記者会見する中村修二氏
Photo:AFP=時事

 いささか優等生的だが、ノーベル物理学賞の受賞が決まった中村修二氏のコメントだ。

 だが、受賞時のものではない。今から14年前の2000年、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授へ転身するため徳島を出発した際のもので、明るく手を振り新天地に希望を見いだしているかのようだった。

 しかし、それから1年後、あるホテルのラウンジで一時帰国した中村氏と会うと、その姿は一変していた。

 いつになく疲れ、思い詰めた表情は、慣れない米国暮らしだけが理由ではなかった。UCSBへの移籍をめぐって、勤務先だった日亜化学工業との話し合いが、混迷を極めていたのだ。

 技術の持ち出しを恐れる日亜化学と、青色発光ダイオード(LED)は自分のアイデンティティそのものと考える中村氏。「発明の対価」をめぐる問題もあって議論は泥沼化、話し合いと呼ぶにはあまりにも激しいものになっていた。