米国海兵隊の戦術イノベーション

 では、このノルマンディーで挙行された水陸両用作戦は、米海兵隊の影響をどれだけ受けていたのだろうか。

 すでにご承知のように、水陸両用作戦を発明したのは、海兵隊である。海兵隊のアール・H・エリス少佐が考案し、太平洋戦争において日本軍を相手に実戦のなかで磨かれたものだ。

 20世紀における地上戦の5大戦術革新といわれるものがある。

〈1〉電撃戦(1930年代初頭、ドイツ陸軍のグデーリアンが専用の装甲部隊を創設、ポーランド軍に向けて実行)
〈2〉空挺(米陸軍のウィリアム・ミッチャルが考案、実戦においては1940年、ドイツ軍がフランス軍に初めて実行)
〈3〉水陸両用作戦
〈4〉近接航空支援(地上部隊の空からの掩護。1927年、海兵隊がニカラグアの内戦で実行)
〈5〉ヘリコプター攻撃(1950年に勃発した朝鮮戦争で海兵隊がヘリコプターによる垂直方位攻撃を実行)

 の5つである。もともと海兵隊は戦術のイノベーションを得意としてきた。このうち<3>から<5>の3つが海兵隊によるものだ。

 水陸両用作戦といえば、英国の海軍大臣だったチャーチルが第1次大戦時に敢行したガリポリ作戦が有名だが、陸空海一体という思想が徹底しておらず、成功しなかった。海兵隊はこのガリポリの失敗からも学び、実践を重ね、遂には自家薬籠中のものにした。それは日本列島に向けての島伝いの飛び石作戦に結実し、日本軍を苦しめた。

 この海兵隊のノウハウがノルマンディーに転用されていたのかいなかったのか。昨年、米国の海兵隊博物館を訪ね、現地の教授と議論したが、今一つはっきりした回答は得られなかった。

 ただ、転用の可能性があるのが戦車揚陸艦(LCT=Landing Craft Tank)である。海兵隊が行った水陸両用作戦は周囲に珊瑚礁をもった島が多く、戦車揚陸艦といっても、搭載できる戦車の数は1、2両が限度だった。

 これがノルマンディーで使われた揚陸艦になると、戦車なら5両、各種車両なら10~12両が搭載できるくらい大型化していた。その設計にあたっては海兵隊のノウハウが生かされていたに違いない。