私が『史上最大の決断』を書いた目的の1つは、国を統率する政治家のリーダーシップのあり方を描くことにあった。特に、戦時下という危機の時代にどのようにして国家を率いていくのかに着目した。そのための評価基準が、アリストテレスの唱えた「フロネシス」の能力である。これは賢慮とも実践知とも訳される言葉だ。今回は、このフロネシスの能力を備えた「実践知リーダー」の1人として、イギリス首相チャーチルを取り上げる。

フロネシスがもたらす最善の決断

 われわれ一般人の毎日ですら、無数の決断で成り立っている。それが、戦時の政治家や軍人だったらどれほどの決断をすることになるだろう。

 戦場で得られる情報は非常に限定されている。しかも、刻々と変わる。したがって、政治家や軍人は、時には錯綜した状況下でもたらされる種々の情報を勘案しながら、その時その時で素早く決断を下していかなければならない。 

ウィンストン・チャーチル(中央)
Photo:The National Archives

 こうした状況下で、最善の決断を下せるのはどのような能力を持つ人物なのか。その答えを私は、アリストテレスが提唱した「フロネシス」の概念を援用することによって説明している。日本語では、賢慮、実践理性、実践的知恵などと訳されるが、それを私は「実践知」と呼んでいる。

 フロネシス(実践知)は、共通善(Common Good)の価値基準をもって、個別のその都度の文脈のただ中で、最善の判断ができる実践的な知性のことである。適時かつ絶妙なバランスを持った「判断」と「行動」をする力である。優れた決断の根底には優れた判断がある。

史上最大の決断』においては、決断も判断もジャッジメントとしているが、それは意思決定(デシジョン)と区別するためだ。決断や判断は、既にある選択肢から単に選ぶ(つまり、意思決定)のではなく、全人的に関与(コミット)して、選択肢を自ら創り出すことであり、選択した後の行動を伴う。

 フロネシスを備えた「実践知リーダー」は、どのような能力によって成り立っているのか。それを表現したのがこの六角形の図である。

 これらの能力を抽出する際に、研究対象としたリーダーの1人が、祖国イギリスを率いてナチス・ドイツと5年間にわたり戦い抜いたチャーチルであった。バトル・オブ・ブリテンでのチャーチルのリーダーシップについては、合わせて『戦略の本質』を参照されたい。