「APEC的客人」と
度を越した国内向け演出

 このように印象付けたのは両首脳の握手シーンだ。

 映像が映し出すホスト役の習主席は、ゲストである安倍首相を10秒間とはいえ棒立ちにして待たせ、対峙しても握手の手を差し伸べようともしない上、終始無言だった。さらに、中国のメディアはプーチン大統領やパク・クネ大統領を中国の「客人」として扱ったが、安倍首相については「APEC的客人」と極めて限定的に扱った。

 メディアも無視を決め込んだ。日中首脳会談についての報道はほとんど隅に押しやられた格好だ。通常であれば、日中間の話題は日に何度も繰り返し報道されるが、今回はほとんどそれがない。それに比べて、同じ首脳会議でもプーチン大統領との会談ばかりが繰り返しクローズアップされた。

 善意に解釈すれば、国内の反日派に気を遣いすぎてこのような態度になってしまった、ということだろうが、しかしあの態度は客人を招くホスト役においてふさわしいものではない。「客人」を大事にする中国ならばなおのこと、もしこれが逆の立場だったら、中国は「メンツを潰された」とばかりに激昂し大騒ぎするだろう。

 上海在住の論語の研究家は厳しく断じる。

「論語に『苟志于仁矣 無志悪也』(苟も仁に志せば、悪無きなり)』という言葉がある。仁を志す者に憎む者はいない、という意味だが、中国のトップは仁がないという印象を国内外に与えてしまった。『己所不欲勿施于人(己の欲せざるところ人に施すなかれ)』の観点からも大失敗だ。だが、残念ながら、これが、中国の現状なのです」

 習主席といえば、就任当初の憶測と打って変わって、今やその評判は上々である。「胡・温ペアの執政に比べ習・李ペアは相当期待できる」(中国の政府関係者)、「理性的な人物、日中関係改善も真剣に考えていたようだ」(中国の法曹界関係者)など、悪い話は聞かなくなった。だが、その期待も過剰だったのか、あの態度は良心ある上海市民からは信頼感を遠のかせた。