「悪い物価上昇」「財政規律の崩壊」
量的金融緩和はなぜ批判されるのか?

 2008年9月のリーマンショック後に、米国のバーナンキFRB議長は「日本のようなデフレに陥らないために」と思い切った量的金融緩和に踏み切った。リーマンショックの大きな影響を受けたEUも、同様の量的金融緩和に踏み切った。

 そのような中で、わが国だけが量的金融緩和を行わなかったために、円が過少となり、急激な円高が進んだ。その結果生じたのが、円高とデフレのスパイラルである。米国がQE1、QE2といった量的金融緩和を打ち出す度に円高が進み、株価は大きく下落していった。円は80円から75円へと高騰し、50円になってもおかしくないとまで言われるようになった。

 わが国と多くの分野で競合関係に立つ韓国との関係では、リーマンショック前の2007年と較べて2009年には42%もの円高・ウォン安になり、日本企業と韓国企業との間の競争力には劇的な変化が生じた。それは、実力に見合わない円高であった。言葉を失うような突然の円高に直面した多くの企業は、その生産を円高の影響を受けない海外に移す決断を迫られた。

「空洞化」という文字が新聞の紙面に躍るようになった。筆者の故郷である鹿児島県からも、47年前に県が企業誘致した第1号のパナソニックの工場などがなくなっていった。それは、日本が日本企業にとって活動しにくい国になってしまったことを示していた。それは、企業の生産活動にとって重要な物価(為替)の安定という金融の基盤が、失われてしまったことによるものであった。

 アベノミクスの第一の矢として日本銀行が行っている量的金融緩和は、デフレから脱却することによって企業活動にとって重要な物価の安定という金融基盤を、わが国で再構築しようとするものである。それによって、日本を企業にとって最も活動しやすい国にしていく成長戦略の一環である。量的金融緩和の結果、行き過ぎた円高は是正され、株価は上昇に転じた。

 ところが最近、その政策に対して、「悪い物価上昇を招くものだ」「国債市場を消滅させ、財政規律を失わせるものだ」といった様々な批判が行われるようになってきている。