驚愕の米国デビュー

 グランツが言及したニューヨークでのコンサートは、JATPのスター達があのカーネギー・ホールに一同に会するもので、1949年9月18日に予定されていました。グランツはピーターソンを出演させるべく具体的な準備を始めます。が、ここで実務的な障害にぶつかります。カナダ国籍のピアニストを米国内で公演させるには、特別な就労ビザが必要です。が、諸般の手続きに相当な時間がかかるので、9月18日の公演には間に合わないのです。

 しかしグランツは、ジャズの“将来の至宝”にめぐり逢った訳ですから、ビザごときで諦めません。さりながら法治国家アメリカで違法行為もできません。そこで、超やり手のビジネスマンでもあるノーマン・グランツは一計を案じます。

 コンサートの出演者であれば就労ビザが必要ですが、ゲストとして客席に座っている限り、ビザは不要。ということは、公演の途中で客席から飛び入りで演奏しちゃっても、違法行為にはならない、と考えるのです。そして実際、1949年9月18日、オスカー・ピーターソンはカーネギー・ホールのステージに立ちます。ベースのレイ・ブラウンとのデュオで、自作の“カーネギー・ブルース”はじめ3曲を演奏。これは「カーネギー・ホールのオスカー・ピーターソン」(写真)で聴くことができます。

 この記念すべき米国デビューの演奏は、聴衆を圧倒し、カナダからやって来た無名の若きピアニストに俄然注目が集まります。そして、ノーマン・グランツが社長を務めるヴァーヴ・レコードから正式デビュー盤「テンダリー」(写真)を翌50年3月に発表します。

 後はジャズの歴史そのものです。

豊穣のピーターソン・ミュージック

 最後に、傑作ぞろいのオスカー・ピーターソンの必聴盤3枚を厳選します。

 「カナダ組曲」(写真上)。カナダ出身であることに拘り続けたピーターソンが祖国カナダに捧げる音楽です。演奏家としてだけでなく、作曲家としての偉大なる才能を開花させました。ちなみに、東京・赤坂のカナダ大使館に併設されている文化会館は『オスカー・ピーターソン・ホール』と命名されています。

 「ナイト・トレイン」(写真中)。カナダ・パシフィック鉄道で働いていた父親に捧げる傑作です。父親の指導がなければピーターソンが羽ばたくこともなかった訳で、父と子の関係が垣間見えます。

 「オスカー・ピーターソン・ミーツ・ロイ・ハーグローヴ・アンド・ラルフ・ムーア」(写真下)。70歳にして、この迫力。昇竜のロイ・ハーグローヴとの共演がジャズは現在進行形の音楽だと証明しています。大御所になってもなお若き才能との邂逅を求める情熱が伝わる名盤です。ちなみに、日本が誇る秋吉敏子女史を『発見』したのもJATP公演で来日したオスカー・ピーターソンでした。

 実は、懐の深いオスカー・ピーターソンの音楽を探求するのも一興ですよ。

(音楽愛好家・小栗勘太郎)