>>前編「『負け組酒場』に集う高学歴ダメ社員の屈折した自尊心(上)」から続く

 カウンターにA大学出身の会社員が座ると、挑発する。

「まだ課長? もう20年だね……」「年収いくら? 1000万円にもなっていないの? かわいそうだよね。悪いけど、俺はその3倍よ」

 満たされない自分の過去を唯一癒すことができるのが、この瞬間なのだろう。
しかしもう、この声を聞くことはできない。昨夏「スナックM」はひっそりと閉店した。常連客に知らせることもなかった。壁に「長い間、ありがとうございました」とだけ、紙切れが貼ってあった。

リーマンショックでお客が激減
ひっそり消えた「負け組御用達スナック」

 ここ5年ほどは、マスターのビジネスモデルにきしみが生じていた。2008年秋にリーマンショックがあった。会社員もまた、厳しい生活を強いられるようになった。店の近くにある大手企業やその関連会社の社員が訪れる機会が大幅に減ったことが、致命傷となった。これらの会社の社員たちが、マスターいわく「ドル箱」だった。会社のそばにわざわざ十数年前、店を移転させたほどである。

 ところがこの会社は、ここ10年ほどは経営陣や社員らの不祥事で大幅に業績が悪化し、経費削減の方針を打ち出していた。その上リーマンショックである。2009年頃を境に、高学歴で行き詰まった社員たちは「スナックM」を訪れることが少なくなった。2008年までは、客は1日平均で30人を超えていたようだが、ここ数年は数人にまで落ち込んでいたという。忘年会や人事異動の際の歓送迎会も、年に数回になった。

 これでは、20万円近い家賃を払うことはできない。そこで夫婦はランチを始めた。900円のハンバーグ定食だった。だが、スナックがランチを始めたところで、客はなかなか増えない。客は1日に多くとも10人ほどだったようだ。なによりも、マスターのプライドが許さなかった。

「ここは、めし屋じゃない。ランチでは会社員とおしゃべりができない」

 この“おしゃべり”が怖いところなのだが、長い間高学歴で行き詰まった社員たちの「憩いの場」であったことは事実である。彼らにとって、「大学受験時の輝いていた自分を取り戻すことができる空間」だったことも、否定できない。