人体実験で捕虜を殺した事例も、森村誠一が『悪魔の飽食』で提起した関東軍731部隊の蛮行がまずは挙げられるが、日本が降伏する直前の1945年5月には、撃墜されたB-29の搭乗員八名が、九州帝国大学で生きながら解剖されている。

 別に隠された歴史ではない。遠藤周作はこの生体解剖事件をモチーフにした小説『海と毒薬』を上梓して、第5回新潮社文学賞と第12回毎日出版文化賞を受賞している。熊井敬監督は奥田瑛二や渡辺謙の出演で同タイトルの映画を発表してベルリン国際映画祭で銀熊賞・審査員特別賞を受賞し、さらに毎日映画コンクール大賞とキネマ旬報ベストワン及び監督賞も受けている。

 もしも今ならば、反日小説とか国益を損なうとか事実捏造の映画などと、ネットや週刊誌が大騒ぎしているのだろうか。でも当時はまったくそんな騒動はない。ならばこれによってどんな国益が損なわれたのか、誰か教えてほしい。

直視せねばならない。過ちを繰り返さないために

 こうした戦時下の残虐行為が、日本軍部だけで行われていたとは思わない。戦争は人を壊す。世界中の軍隊で同様のことはあったはずだ。ホロコーストだけではない。カチンの森、アルメニアやルワンダの虐殺、イエドヴァブネの惨劇、ソンミ村やフォンニィ・フォンニャット、クメール・ルージュの虐殺、ボスニア・ヘルツェゴビナの民族浄化、そして現在のイスラム国、過去においても現在においても、事例など際限ないほどに挙げることができる。だからこそ直視せねばならない。知らねばならない。考えるために。同じことをくりかえさないために。

 残虐で血に飢えているから殺すのではない。集団の歯車のひとつになって自分の感情や理性を停めたとき、人は身の毛がよだつほどに残虐な振る舞いをする生きものだ。人類はその過ちを何度もくりかえしている。

 国益を損なうとか誇りを傷つけられたなどと声高に訴えながら、観てもいない映画の上映中止を求める。さらには、日本人は素晴らしいとか気高いとか世界から称賛されたなどと謳いあげる書籍やテレビ番組ばかりが消費される。そうした姿勢や状況が、ネット時代の今は、瞬時に世界に発信される。つまり世界に晒される。

 犯した間違いを認めて(もちろん明らかな誤解なら反論すべきだが)反省しながら検証するAくん。間違いを認めずに自分は素晴らしいとか全校生徒から愛されているとか自分よ咲き誇れなどと口走るBさん。あなたはどちらと付き合いたいと思うだろう。どちらがまっとうだと感じるだろう。

 多くの人が損なわれたと主張する国益の意味は何だろう。おそらく日本のイメージのことだと思う。他には思い当たらない。ならばどう考えても今のこの状況のほうが、よほど日本のイメージを損なっていると僕は思うのだけど。

(ダイヤモンド社PR誌『経 Kei』2015年3月号掲載分に加筆のうえ転載)