「こっちに飛んでくるよ」
小学校5年生になる長男が言った。場所は信州の山の中の林道。季節は秋の始まり。
「動くな」
僕は言った。立ち止まった長男と僕の視線の先には、黄色と黒のツートンカラーの巨大な虫が、中空でヘリコプターのようにホバリングをしながら、不気味な羽音を響かせている。
オオスズメバチだ。じっと動かない僕と長男の周囲をゆっくりと旋回してから、オオスズメバチは、ふいに気が変わったとでもいうように急速度で飛び去った。喩えは少しばかり顰蹙かもしれないけれど、ベトナムの密林で米軍の武装ヘリであるアパッチに発見されたベトコン(ベトナム解放民族戦線の兵士。ただしベトコンは蔑称なので、むやみに使わないほうがよい)は、たぶんこの何十倍もの恐怖を味わっていたのだろうな。
「危なかったね」
オオスズメバチの飛び去った方向を見つめながら長男が言う。
「危なかったな」
言いながら僕は歩き出す。何となくまだ周囲を警戒してしまう。
オオスズメバチって最強かな?
「オオスズメバチって最強かな?」
長男が言う。
「何に比べて?」
「他の虫」
「日本だったらそうかもな」
僕は言う。日本の昆虫では最強の毒を持つオオスズメバチは、その針だけではなく大顎も強烈な武器だ。セミなどはあっというまに肉団子にされてしまう。そして何よりもオオスズメバチの最大の武器は、その持って生まれた攻撃性だ。とにかくひるまない。相手の大きさなど関係ない。
「世界だったら?」
「どうかな。もっとすごい虫はいそうだけど」
「ユーチューブで見れるよ」
「ユーチューブ? ああ、ネットのYOUTUBEか」
言いながら思い出す。