周斌(しゅう・ひん)氏講演の(下)は、いよいよ1972年に行われた日中国交正常化交渉のエピソードが語られる。49年に中華人民共和国が成立したにもかかわらず、日本と中国の間には正式の国交がなく、日本にとっても中国にとっても外交上の最大の懸案の一つだった。71年の10月には中華人民共和国の国連加盟が認められ、台湾(中華民国)は国連脱退を表明した。
そのような情勢の中、日本では72年7月「コンピュータ付きブルドーザー」と言われた田中角栄内閣が発足。9月25日に田中首相は大平正芳外務大臣、二階堂進官房長官とともに、国交正常化交渉のため北京空港に降り立った。当日は秋晴れだったという。その夜、周恩来首相主催の歓迎晩さん会で述べた田中角栄首相のスピーチが大問題となった。(構成:週刊ダイヤモンド論説委員 原 英次郎)
大平・姫両外相の車中会談
私は中日国交正常化交渉の全過程に参加しました。当時は4人の通訳がそれぞれ任務を分担し、私は外相会談と共同声明作りの通訳を担当しました。
最初の問題はいわゆる「ご迷惑」スピーチです。歓迎晩さん会で田中さんが「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」とおっしゃったことです。
「ご迷惑」というのは中国では軽すぎる表現なんですね。当時、スピーチを聞いていた中国人はびっくりした。特に外交部(外務省)の人たちは怒っていました。「満州事変」から敗戦までの14年間に、当時、日本軍は中国で二千数百万人の中国人民を殺し、約2000億ドルもの経済的損失を与えたと言われていましたから。
その時は周総理も黙って何も言わなかった。翌日の第2回の首脳会談で周総理が1時間半くらいにわたって「田中さん、これでは中国は納得しない。中国人民を説得するのは非常に難しい」と、抗議して田中さんを困らせた。これを聞いて大平さんは問題の緊急性、重要さを感じたようです。
3日目は万里の長城を見学に行く予定でした。1号車には田中首相と、中国側は姫鵬飛外交部長(外相)、2号車には大平正芳外相と呉徳北京市長、3号車には二階堂官房長官とアジア担当の韓念龍外務次官が乗る予定でした。大平さんがこれを見て「万里の長城はいつでも行ける。私は姫外相との意見交換を必要としている」とおっしゃった。