今や“世界第2位の経済大国”となった中国。バブル景気に浮かれる様子を斜めに見るしかない日本にとって、この国はいつの時代も近くて遠い国だ。日米欧三役そろい踏みで負傷中のなか、「眠れる獅子」はなぜ目覚めたのか? 戦後の国づくりから今日のバブル、今後のチャイナ・リスクまで、教養として最低限知っておきたい中国の現代経済史を、代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える。

毛沢東は革命の天才だが、国づくりは下手くそ

 最終回は、日米欧に代わる新興国の台頭、新しい世界の組長になる可能性を秘めた、躍進中の中国の経済について取り上げてみよう。

「中国が伸びてきたね~」なんて言い方をしていたのは、今や昔の話。もともと基礎体力のある国(人口が多い・国土が広い・資源が多い)だけに、伸び始めると速い。今の中国は分野にもよるが、トータルで日本より前を走っている。“世界第2位の経済大国”という日本人お気に入りの称号も、2010年にGDPを抜かれて以降、今や彼らのものだ。

 でも、アヘン戦争の頃から“眠れる獅子”が得意技で、ずーっとそのデカい図体を持て余していたはずの中国が、一体何がきっかけでここまで“目覚めた”のか!? それをこれから考えてみよう。

 戦後中国は、毛沢東によってつくられた。毛沢東は、革命の天才であり、中国建国の父だ。彼は戦時中、植民地化が進む中国内で宿敵・蒋介石の国民党と手を組み(=国共合作)、日本軍に抵抗した。

 そして、第二次世界大戦が終わるやいなや、今度はその国民党と戦い(=国共内戦)、勝利した。そして蒋介石ら資本主義の国民党一派が台湾へ亡命した後、ついに1949年、中華人民共和国の建国を宣言した。社会主義の中国の誕生だ。

 ここまではよかった。だが、ここからがいけなかった。実はこの毛沢東、革命の天才ではあったが、国づくりはものすごく下手くそだったのだ。毛は1956年、「百花斉放百家争鳴」を提唱した。これは“共産党への批判を歓迎する”という運動で、ソ連でフルシチョフが、死んだスターリンを批判し始めたのとほぼ同時期に始まった。

 ということは、毛沢東はそこから“ソ連型の抑圧政治は反動がキツい”と感じ取り、それを反面教師にして、中国を国民誰もが思ったことを口にできる「開かれた社会主義」にしようと思ったわけだ。なるほど、さすが毛沢東。

 しかし、いざフタを開けてみると、まあ出るわ出るわ、毛の予想をはるかに上回る“共産党批判”が噴出した。毛沢東はそれにカッとなり、「反右派闘争」と称して悪口言っていたやつらを片っぱしから探し出し、粛清した。

 ヒデぇ、ムチャクチャだよこの人。「絶対怒んないから本音を聞かせろ」と言っていたくせに、聞きたくない本音が出てきた途端、お前らクビだと騒ぎ出すバカ社長みたいだ。ケツの穴ちっちゃいなら、でかいフリなんかしちゃダメだ。一回こんなことをやると、もう誰も本音なんかしゃべらなくなるぞ。