日本人の手による
自主裁判が必要だった

 先日、ナチス・ドイツのアウシュビッツ収容所の元看守が起訴され、92歳の男性が殺人ほう助の罪で禁固4年の刑を言い渡されました。ドイツの検察は戦後70年経った今もナチスの罪を捜査し、裁き続けています。

 東京裁判と同じく、ドイツにも連合国軍によるニュルンベルク裁判はありました。しかしそれ以外に、ドイツ人は自ら国家が生み出した罪に向き合い、謝罪と補償を繰り返し、関係国との和解に最大限の努力をしてきました。そして今、欧州の堂々たるリーダーとなっています。

 日本でも自主裁判の動きがなかったわけではありません。敗戦1ヵ月後の東久邇内閣、その後の幣原内閣でも、日本人自身による戦犯裁判が模索された記録が残っています。しかし、連合国軍総司令部(GHQ)の反対により挫折しました。

 私は、自主裁判が実行されなかったことで、日本は「敗戦のケジメ」をつける大きなチャンスを失ったと考えています。日本人は自らの手で過ちを検証せず、東京裁判を、そしてサンフランシスコ講和条約を受け入れるだけに終わってしまった。

 象徴的なのが「進駐軍」という言葉です。私が海外で「(日本人は米国の)『占領軍』を『進駐軍』と呼んでいた」と話すと、驚きの声が上がります。日本側は敗戦と占領の事実をあいまいな言葉ではぐらかし、GHQもそれを受け入れた。戦後の日本は、何とも特殊な道のりを歩んできたのです。

 そして今、安倍政権によって、日本の特殊性が改めて浮き彫りになっています。国際的に「歴史修正主義者」と思われている安倍首相が、終戦記念日に合わせてどういう談話を発表するのか、中韓が目を光らせている。戦後70年も経って、いまだ隣国との歴史的和解がなされていないなんて、国際的に見ると異常な国です。