また、要領よく、省エネモードで出世したい人にとって、会議は都合のいいツールでもある。会議中は、潮の流れと上席の顔色を伺いながら、大勢に逆らわないように前向きなことを言い、自分にお鉢が回ってくるのは巧妙に避ける。どこの会社にもいる「会議の達人」だ。不思議なことだが、そういう人はたいした業績はなくとも、しっかりと出世する。「場の空気」と「上司の真の意向がわかる」という卓越した能力を持っている人だからだろう。

 逆に、「仕事がしたいから」と言って会議をサボっていると、本当は良い仕事をしていても上司の覚えは極めて悪くなる。成果主義だから、仕事の成果だけで評価されるなどというのは幻想だ。特別な能力を持つ、幹部から覚えのめでたい僅かな人だけは少々会議をサボっても許されるが、そういう人でさえ、成果が上がらなくなれば、素行が悪いとやり玉に上げられ、即座に引きずりおろされる。能力に自信もないのにそんなことをするよりは、大人しく会議に出たほうがまし、というわけだ。

無駄な会議を撲滅する方法は?

 もし本当に、無駄な会議をなくしたいと望むなら、意思決定ができる管理職を育成するしかない。経営理念や事業戦略を深く理解し、授権範囲をこころえ、個々人の能力や他部署の業務内容を把握する。そのうえで、衆知を集める必要のあることだけは会議を開く。意思決定の経験を積み、失敗を反省し意思決定に習熟する。そういう管理職が育ち、彼らがまた次の世代を育成する。この好循環なくして、無駄な会議を根絶することはできない。

 阿吽の呼吸で調整しながら、誰にとっても痛みの少ない決定を探るのは、日本企業が得意とする手法だ。それを全否定するつもりはない。しかし、冷静に考えれば、無駄な会議にかけているコストは計り知れないし、そのやり方では管理職も成長しない。古くからの伝統にしたがって現状に甘んじるか、リスクをとってでも意思決定の能力を身につける管理職を養成するか。

 どちらが正解かは自ずと見えていると思うのだが。

(構成/大高志帆)

※なお、本記事は守秘義務の観点から事案の内容や設定の一部を改変させていただいているところがあります。