1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から18年、2000年に新生銀行として再出発してから16年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(取材・文/経済ジャーナリスト 宮内健)

80年代からM&A業務に従事
常に金融の先端領域で活躍

 東京海上キャピタルは東京海上グループのプライベート・エクイティ投資部門である。具体的には有望な中堅、中小企業を対象として友好的に株式の過半数を握ったうえで経営支援を行い、強みを伸ばし弱点を補強して企業価値を高め、売却してリターンを得るファンドを運営している会社だ。

 長銀OBの深沢英昭さんは2004年に同社へ参画し、翌年に社長就任し同社を牽引してきた。昨年、社長をバトンタッチし現在は会長を務める。

深沢英昭さん

「これまでに我々が投資し、その後売却やIPOした案件は13件ありますが、失敗は一度もありません。失敗とは投資した金額より返ってきた金額が少なかったという意味で、おそらく日本でこういうファンドは他にないと思います。少なくとも失敗しない形で資金を投資家にお返しし、投資先の経営者や社員、ご家族にもご迷惑をかけず喜んでもらえるような投資を我々はやってきました」

 深沢さんはそう言って胸を張った。15年には投資を行った案件が業界団体である日本プライベート・エクイティ協会の表彰であるJPEAアウォードを受賞した。

 深沢さんは金融の世界において、それぞれの時代の先端的な領域で活躍してきた。経歴をたどると78年に長銀へ入社し83年にシカゴ大学でMBAを取得した後、80年代前半から草創期のM&Aアドバイザリー業務に従事。バブル経済が崩壊した90年代はターンアラウンド・マネジメントや企業の事業ポートフォリオ再構築を支援し、21世紀に入ってからはプライベート・エクイティ投資で成果を挙げた。

 意図して先端的な領域で働いてきたのかと尋ねると、「そういうことはあまり意識したことがなかった」という。

「当社の採用面接にやってくる人のなかには『プライベート・エクイティ・ファンドから企業に乗り込んで会社を立て直し、事業価値を上げて10年後には経営者になりたい』と見事なビジョンを語る方がいます。それを否定するつもりはありませんが、私自身はそういう考え方はしてこなかったし、得意でもありません。留学をしたときも『試験に受かったから海外へ行ける。その先のことは行ってみないとわからない』という感じでしたね」

 では、深沢さんはそれぞれの時代においてなぜ、まだ切り開かれていない未踏の領域に踏み込むチャンスを得て、成果を出すことができたのか。