「周りは関係ない、お前はどうしたいのか」

ムーギー・キム
1977年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。INSEADにてMBA(経営学修士)取得。大学卒業後、外資系金融機関の投資銀行部門にて、日本企業の上場および資金調達に従事。その後、世界で最も長い歴史を誇る大手グローバル・コンサルティングファームにて企業の戦略立案を担当し、韓国・欧州・北欧・米国ほか、多くの国際的なコンサルティングプロジェクトに参画。2005年より世界最大級の外資系資産運用会社にてバイサイドアナリストとして株式調査業務を担当したのち、香港に移住してプライベートエクイティファンドへの投資業務に転身。フランス、シンガポール、上海での留学後は、大手プライベート エクイティファンドで勤務。英語・中国語・韓国語・日本語を操る。グローバル金融・教育・キャリアに関する多様な講演・執筆活動でも活躍し、東洋経済オンラインでの連載「グローバルエリートは見た!」は年間3000万PVを集める大人気コラムに。著書にベストセラー『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』(東洋経済新報社)がある。

ムーギー 椎木さんは、里佳さんの子育てはもちろんのこと、ソニーを経てご自身で会社をつくり、そのクリエイティブによって世間を賑わせています。里佳さんの教育方針そのままに、人生を主体的に切り拓いているように思えるのですが、椎木さんご自身はどのような教育を受けてこられたんですか?

椎木 うーん、そうですねえ。僕は次男で要領もよかったし、親から「何々をしなさい」と言われることがなかったんです。放任主義だったからこそ、自分で考えて行動するクセがつきましたね。小学校のころから、先生に言われたとおりにやるのはかっこ悪いと思っていて。

ムーギー なんと、小学校で! とはいえ、ただ放っておかれただけでは、そうはならないでしょう。なぜ主体的な考え方できるようになったと思われますか?

椎木 それは、父の影響ですね。父がかっこよかったんです。自営業でそれなりに忙しく、コミュニケーションが密というわけではなかったけれど、ずっと「お父さんには敵わないな」と思っていました。叱られた記憶も、2回しかないんです。でも、両方とも「そのとおりだ」と納得できることを端的に指摘してくれて。

ムーギー どんな内容だったんですか?

椎木 まず、当時一世を風靡していたソニーのウォークマンを嬉々として聴いていたら、「世の中にはたくさんの情報がある。街にはいろいろな音が溢れている。それは素敵なものなんだから耳を閉ざすな」と言われたこと。そのひと言で人の声や街の音をシャットアウトしていることに気づいて、身の回りの情報を意識するようになりました。

 いま、年齢を重ねてもいろいろな作品を世に出せるのは、こういった理由で、街の流れとシンクロできているからだと思っています。

ムーギー おお、それはいいアドバイスですね。……ちなみに、お父様を見返すつもりでその後、ソニーに入社したわけではないですよね?

椎木 いやいや、さすがにそこまで執念深くないです(笑)。

ムーギー そうですよね(笑)。もうひとつの叱られたことは?

椎木 小学校のころ、みんなで友だちの家に遊びに行ったら盛り上がって「もうこのまま泊まっちゃおうぜ」という話になりました。おうちの方から「ご家族に連絡しなさい」と言われて電話をかけると、父が出た。そこで「みんな泊まるから、オレも泊まるね」と軽く言ったら、電話口で怒られたんです。「みんなも泊まるから泊まるのか? お前の意志じゃないのか!」って。お前が泊まりたいなら許すけれど、周りに流されてのことなら許さない」と諭されました。

ムーギー へえー! それはまさに主体性教育ですね。

椎木 そうですね。結局「うん、ごめん、オレが泊まりたいんだ」と言って許可してもらえたんですけど。

ムーギー『一流の育て方』で紹介している数多くの「幼少期を振り返って、親に最も感謝している家庭教育方針」のなかに、「『人様に迷惑をかけるな』ではなく、『迷惑をかけても周りに人が集まってくるような大志を抱け』と言われた」という学生がいて、これはすばらしい教えだなと思いました。

 日本は、「人様に迷惑をかけないように」と育てられた人が多いですよね。それに加えて、出る杭を打つ文化だから主体的に何かやろうという人が少なくなる。でも椎木さんのお父様は、協調性よりも、主体性をもっとも重視していたということですよね。

椎木 そうですね。あと、父は何でもお見通しというか、僕にとって最大の理解者でした。早くから「世界を飛び回るような人間になれ!」と言われていましたし。

ムーギー 30年以上前ですから、まだまだグローバル化が叫ばれていない時代でしょう? お父様は、椎木さんの可能性に気づかれていたんでしょうね。

椎木 自分で言うと変ですけど、そうですね(笑)。「お前は静岡や東京だけにとどまるような人間じゃない」というメッセージは感じていました。