今回は、「学歴コンプレックス」の親のもとで育てられた姉と妹の生き様を取り上げたい。筆者がこの母親・橋本富美(仮名)と初めて面識を持ったのは、2001年。当時、60歳前後。富美は、取材時に録音するテープを聞き、書き起こす「テープリライト」の会社を営んでいた。社員数は2人だ。

 30歳の頃からテープ起こしの仕事を始め、40代後半のとき法人化して創業。その後、20年近く会社を経営していた。筆者は年に数回、富美のもとを訪れ仕事の依頼をした。その場で雑談などをよくした。最後となった2011年までに、20回は訪ねた。そのときに聞いていたことをまとめたのが、今回の記事である。

 富美には2人の娘がいる。姉は上智大学文学部、妹は青山学院大学文学部を卒業し、現在はそれぞれ50代半ばと40代後半。様々な意味で対照的な生き方をしている。筆者が富美に聞いたところによると、姉は妹に対して嫉妬やひがみの思いを抱いているという。この3人の生き様を通じて、「学歴病」を考えたい。読者にはどのように映るだろうか。


学歴コンプレックス家庭で
妹の人生に嫉妬する優秀な姉

高学歴で外資系企業の部長を務める優秀な姉が、平凡な家庭を築いた妹に嫉妬し続けるのはなぜか

 妹の節子(仮名)は、2011年の時点で44歳。22歳で青山学院大の文学部(英米文学科)を卒業し、大手損害保険会社に一般職として就職。25歳のとき、学生の頃に知り合った男性と結婚した。

 この結婚を嫉妬の眼差しで見ていたのが、4歳上の姉の冴子(仮名)である。この頃、29歳。結婚を意識する年齢だったが、相手はいなかった。母親の富美によると、結婚寸前まで話が進んだ男性は数人いたという。

 1人は、上智大文学部(英文学科)に在籍しているときに知り合った、サークルの先輩だった。2人は学生であったが、富美の言葉を借りれば「夫婦同然」の仲だった。親には「サークル活動」と言い、深夜まで帰って来ない。また「サークル活動」と称し、2人で海外旅行にも出かけた。だが、いつしか関係は途切れた。冴子から「サークル活動」という言葉を聞くこともなくなった。

 結婚寸前まで進んだ2人目の男性とは、27歳のとき見合いで知り合った。冴子は当時、外資系の金融機関に勤務していた。上智大を卒業し、最初に入った大手メーカーは1年で退職した。理由は富美にもわからない。

 見合いの相手は、外資系のファイナンス関係の会社に勤務する30代半ばの男性。2人は数週間で「夫婦同然」の関係になった。富美が心配するほどに、国内や海外の旅行を繰り返した。旅行は半年で10回ほどに及んだという。