――ですが、共産党ウォッチャーには、「敵の出方論=暴力革命」と見ている人が少なくないですし、「現在の日本共産党はソフト路線を打ち出しているが、根っ子は革命政党である。政権を獲ったら最後、旧ソ連のような一党独裁の素顔が出るはずだ」という疑いを抱いている人も少なくありませんね。

 違います。私は、世の中の在り方をガラリと変えるという意味で、革命とは悪いことだと思っていません。ただ、そこに至るまでの方法は、あくまで国民の多数の支持を経て社会の改革を進めるという方針に変わりありません。60年以上、一貫しています。これは、一歩一歩進めて行く話なのです。

――ところで、最もベーシックな点をお聞きします。1991年冬に旧ソ連が崩壊したことにより、世間では「共産主義という考え方は終わっているのではないか」と見ている人が多いのではないかと思います。例えば今日でも、共産主義を標榜している国で、経済的に成功しているところはありません。

 まず、これまで私たちは「ソビエト連邦は社会主義でも共産主義でもない」と強く発言してきました。私たちとは、まったく異なる存在です。

 日本共産党は、旧ソ連がつぶれてから批判を始めたわけではないことを知ってほしい。すでに60年代前半の時点で、「日本共産党はソ連の言いなりになれ」と言われていました。しかしながら、自主独立を尊ぶ私たちと旧ソ連は大論争を続けてきました。しかもソ連は、日本共産党に手先(スパイ)を送り込み、指導部を内部から壊そうとしました。68年には、ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻します。いわゆる「プラハの春」ですね。

 旧ソ連との関係が決定的に悪化したのは、79年のアフガニスタンへの侵攻でした。「もう許せん。社会主義国の顔をして、他国を侵略するとは何事か!」と激怒しました。ですから、91年に旧ソ連が崩壊した際は、日本共産党は「諸手を挙げて歓迎する」という声明を出したほどです。旧ソ連のような民主主義がまったくない、野蛮な体制ではなく、「私たちが日本で未来社会をつくるのだ」という思いでしたね。ちょうど、私が書記局長になって間もなくの頃でした。

――とはいえ、日本共産党は、1922年にコミンテルン(旧ソ連が主導した世界同時革命を目指す共産主義政党による国際組織)の日本支部として立ち上がりました。言うなれば、日本共産党にとって旧ソ連は“親のような筋”に当たります。志位さんも、心中は辛かったのではないですか。

 親ではない(笑)。旧ソ連が崩壊して、もう25年が経ちます。旧ソ連が消滅したことで、「これで邪魔者がいなくなった」と清々した気持ちになりました。

 米ソによる冷戦構造の枠組みから抜け出した世界の国々は、本気で自分たちの行く末について考えることができるようになりました。それまでは、どちらかの陣営に属していたわけですが、縛りがなくなったのです。そういう意味では、日本はいつまでも「アメリカの言いなり」になっていてはいけません。