不動産屋さんとこういう電話をした後の疲労感や苦々しさは、今でもはっきり覚えています。タイトな交渉ほど楽しいという肝っ玉はあいにく持ち合わせておらず、言い過ぎて買えなくなったらどうしようとか、とんでもないケチ野郎と思われたに違いないと変に気を揉んでしまうばかり。

 提示価格を信頼するなということ、不動産屋さんと人間的な付き合いができないこと、これが辛かった。きっとインドでは生きていけないでしょう(しかし確かに物件によっては大幅な値引きもあるということを後日学び、ふてぶてしく育っていくことになるのですが)。

 このストレスを夜な夜な夫にぶつければ、「だからお嬢様はダメだなあ」と言われ、

「だったら自分でやってくれ!」
「俺は日中は仕事でできん!」
「わたしもやらん!」
「田舎暮らしがしたいと言ったのはおまえもだろう!」
「あなたもでしょう!」

 と不毛な言い争いを何度したことか。しかし度重なる値引き交渉の結果、価格は3分の2くらいまで下がってきました。

 そうこうしながら長らくその土地のことばかり考えていたら、一方でどんどん愛着が湧いてきてしまって、半分くらいここに決めたような気分になってきました。

 丹沢の山でこどもと野遊びする姿を夢想し、近所にあるマス釣りセンターも飽きるほど行くことになるね、などと話し、「もうこれは縁があったと思おう、買付証明を出そう」と夫婦で結論を出した、その直後。不動産屋さんから電話がありました。

「すみません、実はね、あの土地の右側がね、売れちゃったんですよ。さっき」

 売れちゃった?何を言われているか分かりませんでした。

「地主さんがあなたがたとの交渉にしびれを切らしちゃって、自分でお客さん引っ張ってきたんですよ。即金手渡しで、その場で決まっちゃったそうです。なんかすみませんねえ。また、いい土地あったら紹介しますよ」

 ……売れちゃったって、言いました?わたしたち、この土地を買おうと、今決めたんですけど……。検討に検討を重ね、決断を引っ張るだけ引っ張り、結果的に石橋を叩いて叩いて叩き割ってしまったことに気づいた、瞬間でした。

 後日、ショックから立ち直れなかったわたしたちは未練たらたらでこの土地を見に行ったのですが、そこはもう、可能性に満ちた空地ではありませんでした。スクラップされた廃車が、何台も野積みされていました。

 上に伸びるのは丹沢の山、眼下には茶畑。このロケーションを生かし切る生活をわたしたちならできたかもしれないのに、もたもたしてたら結局、スクラップ集積所。そのやるせない風景は、今でも忘れられません。

(第8回に続く)