平日は都会で働き、週末は田舎で過ごす。東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。およそフットワークが軽いと言えない「田舎素人」の一家は、なぜ「二地域居住」という生活を選んだのか?田舎暮らしの新しいバイブル『週末は田舎暮らし』から、一部を抜粋して紹介する。
「はじめる」ことと「続ける」こと
我が家のある南房総市の三芳地区(旧三芳村)は、平野部には農地が広がり、中山間地には昔ながらの暮らしを続ける農家が残っている場所です。
温暖な気候から多様な野菜や果物、花などが生産され、蛍舞う美しい水をひいた田んぼから穫れる米は「蛍まい」という名産品になっています。また、酪農家も多く、味の濃い低温殺菌牛乳は道の駅でも買うことができて地産地消の好例となっているようです。
はじめてここを訪れたとき、絵に描いたような里山の田園風景に心奪われました。数年前までは村全体に信号がひとつしかなく、東京から1時間半でこんなに長閑な場所に来られるのかとちょっとびっくりしました。元気な地元の農家さんたちは、合理的な集約農業ではなく、昔ながらの小さな農業を続け、その手によって里山の田園風景が今も美しく残り、環境が維持されているという塩梅です。
ここにヨソモノとして入ってきたわたしたちは、都会からたまに来る風変りな家族ということで「別荘扱い」とみなされ、いろいろ教えてもらいながら足らない部分を大目に見てもらっていました。
でも、少しずつ地元の方々に触れる中、集落にはこどもや若者がほとんどいないこと、高齢化と跡継ぎ問題が表裏一体となり深刻化していることなど肌で感じ、ヨソモノとして観光客のように環境を享受するだけというわけにはいかないぞ、という思いがふくらんでいきました。
時間をかけて地域への愛着が増していくと同時に、地域の問題を自分自身の暮らし方、生き方の問題として捉えるようになったのです。
どうしようもなく大事な場所、守るべき責任がある場所。そんな大きなものを背負ってしまったことが、わたし自身の生活の豊かさと一体である以上、季節商品のオススメのように「みなさんも二地域居住をどうぞ!」と軽い感じで宣伝することはできないや、というのが本音です。
でも他方で、背負うものがあることはあながち、悪いことでもないよ、とも思います。わたしにとってそれは逃げ出したい重圧ではなく、どうにかしなければという思いと共にこの土地にい続ける重石として作用しています。
10年、20年先にこの地域はどうなるんだろう、自分たちに何ができるんだろう、と悩みや課題は山のようにあります。ある、というか、できてしまうのです。暮らしを重ねれば重ねるほど。