なんと!家に名前が付いているなんて。

 源佐衛門さんが住んでいたのが「ゲンザエム」で、地元の主みたいな隠居さんがいた家が「オオエンキョ」、おそらく建て替えて新宅になったときに付いた屋号がシンタク。

 そしてなんと、ここでは我が家は、馬場さんちではなく「ウエンダイ」!

 その家の特徴や家長の呼び名などが、代々受け継がれ今も使われているとは、なんとも素敵な話です。おそらく、農民が名字を持たなかったころの名残だと思いますが、「家は残り、人だけ入れ替わった」と感じたことが、屋号というシステムにも表れているようで実に面白い。

 ウエンダイに住む、馬場さん。

 家そのものが集落の中で愛称を持っているということを知り、ほんの少しの安心感と、集落の歴史の続きに参加できるような嬉しさを感じました。

 歴史というのは常に紆余曲折。そのすべてを見知り飲み込んでの今だと考えると、歴史が断絶されていない流れには、わたしたちのような異端児を包容してくれる力があるのではないかと思えるのです(勝手な解釈かもしれませんが)。

 それは、場所の歴史が細切れに断絶された都市生活での、アノニマス(匿名性)に生きる気楽さとは違う、つながる安らぎなのかもしれません。

 わたしたちは、集落の方々や地域の方々の期待に応えるような暮らし方はできないのが現実です。だって、こどもたちの小学校は東京ですし、週末しか来られないし、近々の予定として移住を考えることもできません。

 でも、わたしたちのできうる方法でこの土地に根を下ろし、愛していきたい。この妙なライフスタイルが理解されるのには時間がかかるかもしれないけれど、思いの根っこが同じなら、いつか受け入れてくれるんじゃないか。

 そもそもの性分として、期待されると応えたくなるという反応を示してしまうので、応えられない辛さにめげそうになりましたが、週末を豊かに過ごすというまるで一般的でない暮らし方を認めてもらえるまでゆっくりじっくり関わり続けようと、心の軸足を定めました。

「こーんな都会のお嬢さんが草刈りできんのかねえ」
「まあ、困ったら話してな」

 そんな声を聞き、お嬢さんじゃなくてもうハッキリおばさんだし、と思いながら、「草刈り頑張ります!」と答えた声は、たぶん最初よりちょっと大きくなっていたと思います。

 そう。わたしたちは、「家」に住むとはいえ、「家」の中にいることを目的としてこの土地に来たのではなく、東京にはない自然環境を求めてこの地にたどり着いたのです。川の字の布団でよく寝たら、農家の1日のように朝日とともに外に飛び出す生活を求めて。

 そして、地主となったその日から、この里山もわたしたちを求めていたのでした。「あんたがたも、自然の営みの一部になったんだよ」と。里山環境での、集落での責任を全うすることが、ここで豊かに暮らす条件でもあるのですから。

 ……要は、草刈り人生の、はじまりです。

(第17回に続く)