矢口祐人

東京大学副学長・東京大学グローバル教育センター長・東京大学大学院情報学環教授

やぐち・ゆうじん/1966年北海道札幌市白石区生まれ。キリスト教のメノナイト教会の家庭で育ち、教会、祈祷会、日曜学校、聖書、賛美歌が中心の生活を送る。周りの日本人とは異なる暮らしを送ったことが、文化とは何かを研究しようとする動機となった。小学5年の時に親の都合で10カ月間、アメリカニューヨーク州バッファロー市郊外のトナワンダに住み、アメリカの日常生活を理解するのに苦労する。北海道大学に進学するが中退し、アメリカインディアナ州北部のゴーシエン大学(Goshen College)に編入。当初は英語があまりできず授業でもほとんど発言できなかったが、教授たちは根気よく教えてくれた。1989年に卒業。インディアナ州の日系企業で働いた後、バージニア州のウィリアムスバーグにあるウィリアム・アンド・メアリ大学大学院(College of William and Mary)のアメリカ研究プログラムに入学し、修士課程・博士課程修了(Ph.D.)。1995年に北海道大学言語文化部専任講師となる。98年に東京大学大学院総合文化研究科(教養学部)に移り、英語とアメリカ研究を教える。2013年から総合文化研究科に新設された国際交流センター長・教授、2018年から国際化教育支援室の室長として、大学全体の国際化に関わる業務に携わる。2022年より、東京大学副学長、2023年より、東京大学グローバル教育センターセンター長を務めている。著書多数。ハワイを単なるリゾート地ではなく、アメリカと帝国、先住民の権利、移民、軍事的覇権、開発と観光などのキーテーマとなる地と見て、ハワイに関する著作も多い。2011年に上梓した『憧れのハワイ 日本人のハワイ観』で、ヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞している。

東大初の女性教授が「女性の研究」をキッパリ拒否した理由
矢口祐人
東大で女性として初めて教授になったのは、中根千枝だと言われている。女性であることを活かした視点で研究をしてはどうかという周囲の勧めに対して、婦人問題や女性解放論にはまったく興味がないと断言した。完全な男社会である当時のキャンパス環境で活躍するため、日本特有の「タテ社会」での処世術を極めたのだった。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
東大初の女性教授が「女性の研究」をキッパリ拒否した理由
「東大は最高の花嫁学校」「大型ホステスを育てる」トンデモ暴論がまかり通った昭和アカデミアの憂鬱
矢口祐人
世界のトップ大学では男女比がほぼ半数が当たり前という現代でも、東京大学に通う女子学生率はほんの2割ほどに留まる。しかし、女子の大学進学率が急増した1960年頃においては、彼女たちは今以上に肩身の狭い思いをしていた。大多数が卒業後に就職せずに家庭に入る女性たちにとって「大学は所詮“花嫁学校”でしかない」と言われていた当時の風潮を垣間見る。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「東大は最高の花嫁学校」「大型ホステスを育てる」トンデモ暴論がまかり通った昭和アカデミアの憂鬱
なぜ東大は男だらけなのか?漱石が描いた「男の世界」
矢口祐人
世界ランキングトップの大学に通う学生の男女比がほぼ半数である一方、日本が誇る東京大学に通う女子率は未だに低く、20.1%(2022年)でしかない。女人禁制だった明治時代の東大を舞台に描かれた小説『三四郎』(夏目漱石)から見た、東大における女子の扱いとは。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
なぜ東大は男だらけなのか?漱石が描いた「男の世界」
新着
業界
学び
特集
書籍
業界
製造業 銀行・証券・金融 保険 建設・不動産 コンサル・士業 商社 運輸・物流 IT・通信 AI・テクノロジー エネルギー 医療・製薬 食品・農業 小売・外食 サービス・エンタメ メディア・広告 スタートアップ・新規事業 教育 財閥・学閥 予測・分析
学び
経営・戦略 マネジメント ビジネス課題 ビジネススキル 営業・マーケティング マネー・投資 相続・節税 年金 キャリア・働き方 受験・子育て 教養