矢口祐人
東大初の女性教授が「女性の研究」をキッパリ拒否した理由
東大で女性として初めて教授になったのは、中根千枝だと言われている。女性であることを活かした視点で研究をしてはどうかという周囲の勧めに対して、婦人問題や女性解放論にはまったく興味がないと断言した。完全な男社会である当時のキャンパス環境で活躍するため、日本特有の「タテ社会」での処世術を極めたのだった。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「東大は最高の花嫁学校」「大型ホステスを育てる」トンデモ暴論がまかり通った昭和アカデミアの憂鬱
世界のトップ大学では男女比がほぼ半数が当たり前という現代でも、東京大学に通う女子学生率はほんの2割ほどに留まる。しかし、女子の大学進学率が急増した1960年頃においては、彼女たちは今以上に肩身の狭い思いをしていた。大多数が卒業後に就職せずに家庭に入る女性たちにとって「大学は所詮“花嫁学校”でしかない」と言われていた当時の風潮を垣間見る。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

なぜ東大は男だらけなのか?漱石が描いた「男の世界」
世界ランキングトップの大学に通う学生の男女比がほぼ半数である一方、日本が誇る東京大学に通う女子率は未だに低く、20.1%(2022年)でしかない。女人禁制だった明治時代の東大を舞台に描かれた小説『三四郎』(夏目漱石)から見た、東大における女子の扱いとは。※本稿は、矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
